2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

40福岡県

2018年12月19日 (水)

福岡/大宰府 太宰府天満宮 道真フォーエバー!

福岡県太宰府市、西鉄/太宰府駅からの歩き旅です。

(2011年11月当時)

●太宰府駅前広場

先の駅記事で駅舎周辺の様子を載せていましたが、駅前広場の全体的な様子が分かりにくいと思い、もう少し引いたカットを載せます。駅出て目線のカットで、右端に見える建物は駅舎っぽいですが別の建物です。

今から7年前の姿ですが、今も殆ど様子は変わってないだろう、と思って調べてみたら…

ナント!大幅な駅舎リニューアルが発表されていました、このような大規模改修は1991年以来27年ぶりとか。この写真は「旧駅舎」として語り継がれる事となり、貴重なカットを撮っておいて良かった、なというところでした。

新駅舎は朱塗りの宮殿様で、まさにこの12月完成予定で、2019年1月1日に記念式典が執り行われるそうです。記事としては偶々セレクトしたのですが、今結構旬な駅、といいう事になります。駅舎自体は既にこの姿ではなく、Twitterで見た限り、新しいものになっていました。

太宰府天満宮へは、この右端の建物とその左に写っている緑色の角ばった建物との間の路地を入る事となります。

Img_2877

●駅前道

少々特殊な構造で、この右側に写っているのが駅前の道路です。といっても「幹線道としての駅前道」という事になります。大宰府天満宮などの観光用の通路は先述通り駅前広場から右へ狭い路地へ入って進む形となり、これは基本歩行者用の通路の要素が強く(車も通りますが)、車の場合はこの右側の道路でアクセスする格好となります。

尚、この駅は終着駅であり、この駅舎部分まで線路が伸びていて、右側の道路は線路と平行に走っているものとなります。

Img_2887

●観光通路

太宰府天満宮への道、の最初部分です。

駅前広場の右向こうへそれる形で、このような通路が続いていて、太宰府天満宮へは徒歩5分程度で着きます。

尚、大宰府政庁など遺跡関連は隣の「西鉄五条」駅の方が最寄りとなり、この太宰府天満宮側はどちらかという派手な感じの界隈となります。

この参道に当たる道を進んで行きますが、両サイドに色んなお店や建物が覆い尽くす形で並んでいます。

この時は見つけられませんでしたが、この通りには2000本の杉材を使っての「木組みのスターバックス」があります。画一的な印象の強いイメージですが、建築家・隈研吾氏の手による特殊な構造で、木組みのかなり凝った素晴らしい外観のお店です。この時の訪問が2011年11月で、この店舗がオープンしたのが翌月の2011年12月だったそうです

Img_2888

●町屋

この界隈には色んな建物が立っていますが、ここはまた目を惹くところであり、前に看板が立っていたので見てみたら、江戸時代後期に旅籠として建てられたもの、とありました。

これがナント、レトロな喫茶店になっているとの事で、こんなところが喫茶店??という感じでしたが「風見鶏」という名の喫茶店です。

朝早かったので、中へは入っていませんが、レトロ調の華やかな雰囲気で、これは一回寄るべきだったかな、と後悔しました。この界隈はこのお店もあれば、華やかすぎるスタバもありで、華やかなカフェがひしめき合っている様相です。

                                                 
【風見鶏】
営業時間: 9:00~17:00
料金: メニューによる
定休日: 不定休
住所: 福岡県太宰府市宰府3-1-23
電話番号: 092-928-8685
アクセス:

西鉄太宰府駅より徒歩1分

Img_2890
Img_2891

●さいふの猫屋敷

というなんともインパクトのある店名に惹かれて撮ったものです。

これも天満宮への参道にあります。

調べた限りですが、雑貨屋さんで表に大きな招き猫が居るとの事でした。

これまた早朝につき寄れなかったのですが…

Img_2892

●参道

鳥居がいくつも続く商店街、そんな感じの参道を歩き続けます。

シャッター商店街みたいになっていますが、早朝だからです

あまり人で賑わっていると返って写真撮りづらいので、人のいないうちに撮っているというのもありますが。

Img_2893
Img_2899

●太宰府天満宮へ

天満宮の入口に到着しました。

太宰府駅から近いのでとても便利です。

あまりに有名な「菅公さん(菅原道真)」を祀った天満宮です。そもそも天満宮というものが、菅原道真を祀ったものでありますが、京都の北野天満宮と並んで、日本の天満宮の総本社であり、とりわけここは道真の霊廟として信仰の篤いところでもあります。

もうすぐやってくる初詣の時期には全国から200万人以上、年間にすると約850万人もの参拝客で賑わうという事で、初詣では十指に入る程の規模で、福岡県では最多になると思われ、調べる度毎にそのすごさを感じます。

Img_2900

●紅葉

訪ねた時期が11月26日という事もあって、紅葉真っ盛りでした。

赤はもちろん、緑や黄色の木々と様々な色模様をなしていて、そういう意味での観光としては申し分のない時期でした。紅葉時期の訪問はおススメです。

Img_2906

●浮殿

秋に行われる「神幸式大祭」の御旅所になる建物です。

9/20~25に行なわれ、道真の霊を慰めると共に、皇室の安寧や国家平安、そして五穀豊穣を祈る大切な祭りといいます。

周りがぐるっと囲まれている感じでポツンと置かれているのがなんとも印象的な建物でした。

Img_2911_2

●相撲幟

折しも11月、大相撲九州場所の時期でもあったせいか、力士や部屋の幟が立ち並んでいました。

Img_2917

●菅原道真公 歌碑

東風吹かば…という有名な詩の歌碑がありました。

京都から大宰府への赴任時に歌ったものとされ、いわゆる左遷された時のものとして有名な詩です。道真は901年にこの人事に従って赴任し、亡くなったのが903年という事で、失意の晩年といわれますが、昔からそのような権力志向というか序列争いというか、そういうものがあったのですね。

Img_2919

●九州最古の鳥居

とされているのが、こちらです。

この石鳥居は今から約700年前の南北朝時代に造られたと推定されています。

Img_2924

●朱塗り橋

太宰府天満宮といえば朱色が目立つところですが、ここへ来てようやく朱色に出会えました。

この朱色の欄干は途切れつつも長く続いていました。

というのも三つの橋が架かっていて、それぞれが「過去」「現在」「未来」を表すのだとか。

Img_2926
Img_2927
Img_2928

●心字池

朱塗りの橋が架かっているのは、この池がある為です。

「しんじいけ」と読み、「心」の字をかたどったものとされ、ここ以外にも日本に何ヶ所か同様のものが見られます。

Img_2929
Img_2931
Img_2932

●志賀社

「しがしゃ」です

重要文化財に指定されている建物です。大宰府天満宮で重要文化財に指定されている建物は本殿とここだけだそうです。

1458年再建とあり、その際には黒漆と金製金具をふんだんに使っていたといいます。道真の頃より海外貿易が盛んであったこの地、当時は当然のように輸送手段は船しかなかったので、海上安全の神として海の神を祀っていたといいます。

Img_2933
Img_2935

●宝物殿

「ほうもつでん」です

実に5万点もの宝物を所有している「宝の山」です。

入口はこの広く見える正面ではなく、サイドに見える狭い側の方となります。

大人料金¥400と有料です。

Img_2953
Img_2941

●池に浮かぶは…

池に沢山の丸いカップケーキのようなものが浮かんでいて、なんだこれは??となりましたが、この正体は

「花ショウブ」

だそうです。

この時は全然それらしい姿が見られなくて、灯籠流しのように何か浮かべてるのか?と勝手に思っていました。(笑)

Img_2946
Img_2947
Img_2952

●だざいふ遊園地

なんと、遊園地がありました!

大宰府天満宮の境内東側30,000㎡の敷地を無償貸与を受けて造られたといい、その開園は1957年と古く、西日本で初めてジェットコースターが導入された所だそうです。

天満宮の男鹿楚歌な雰囲気が続く中で突然にこのようなパステルな入口に出会うそのギャップは激しいものがあります。神社からの遊園地ですから。

Img_2963

●ゆうえんち

中には入りませんでしたが、ちょっと一コマを。

いかにも大人が行きそうな天満宮という場所と、いかにも子供が行くこのような遊園地が半ば同居しているエリアって対照的でなかなか良いですね。

Img_2966

●九州国立博物館への道

大宰府天満宮は遊園地もあれば博物館もあるという実にバリエーションに富んだエリア構成がなされています。

東京・京都などの国立博物館が美術系なのに対して、こちらの九州のものは歴史学系の博物館とされています。

この曲線状にせり上がる屋根がデザインとしてなんともインパクトがあります。

2005年開館、という実に新しい博物館で、国立博物館としては1897年の京都国立博物館以来の新しい国立博物館だそうです。20世紀に新規でできた国立博物館がひとつもない、という事実もまた驚きでしたが。

大宰府天満宮の真傍にあるというロケーションから元日から開いているそうです。博物館が元日開いてるとはこれまた驚きです。

Img_2971

●本殿

最後の写真にしてようやく出てきたこの赤色の本殿です。

いかにも太宰府天満宮、という感じの象徴的な建物で、これを見ないと太宰府天満宮行った気がしない、というか普通に見るでしょ、という感じですが。

九州を代表するといっても過言ではない、この荘厳な神社、一度は目にしたいと思ってやって来て本当に良かったと思います。今度は木組みのスタバへ行かねば(笑)

Img_2975
Img_2981
Img_2979

2018年7月 7日 (土)

福岡/行橋 ゆく橋くる橋 正八幡宮

福岡県行橋(ゆくはし)市、JR行橋駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●APA HOTEL

訪問時に泊まったホテルです、

行橋市は福岡県でも東部にあり、小倉からは南に位置し、この辺りにホテルなんかあるのか??と思いつつ探してみたらあったので、ここに停まって翌朝散策したものです。

アパホテルは福岡県内には現在10店舗あり、この行橋駅前のAPAはそのうちのひとつです。

Himg0698

●おいなりさん

駅近くにあるこのお稲荷さんは「正八幡宮」と幟が出ていましたが、これが実際にここの名称です。

境内周りが溝になっていて、お稲荷さんの色である朱塗りの欄干で橋が架かっていました。行橋でいきなり「橋」に出会いました(笑)

Himg0704
Himg0703

●拝殿

正八幡宮の拝殿です。

平安初期の860年が起源とされている由緒正しき宮です。

戦勝祈願からのちには領内安堵までその役割を時代とともに変えつつ参拝祈願され続けたお宮でもありました。

願いをみちびく戦いの神、として長きにわたり信仰/崇拝され、その範囲は豊前一円にまで広がっているといいます。

今時季でいえば七夕祭が7/7に開催されています。

下側写真の拝殿と直角に位置しているのは「参集殿」です。

Himg0707
Himg0709

●御神木

本殿の右手前にある大きなクスノキが御神木で、樹齢約350年といわれています。素朴な疑問として、この樹齢350年はいつ400年とかに変わるのか??と思いますね。いつまでも350年と言われていたりするかも?と。正確な誕生年が分からないと、そういう事になるのかな?と。

ちなみにここの境内には大きなクスノキが多数あります。

Himg0708

●玉

「むすび玉」と呼ばれる玉がありました。

水に浸かった形でこの大きな玉がクルクルと回ります。ボウリングの球のようでした。

Himg0710
Himg0711

●そしまた、橋

行橋だけに(笑)

それで「行橋(ゆくはし)」の地名由来は??と調べてみると…

行事(ぎょうじ)大橋(おおはし)の合成地名だそうです。その漢字を行と橋を合わせて、読み方まで変えて「ゆくはし」にするとは…

何かの橋に因んでの命名かと思っていましたが…、しかし大橋ということはこちらに橋があったのか…??この大橋という地区は宿場町として賑わっていたようです。

橋のついた由来まではよく分かりませんが、この反った石橋「ねがい橋」は情緒溢れた大変印象的なものでした。

Himg0712
Himg0714

●十二支(えと)めぐり

この正八幡宮では「干支めぐり」というのがあり、御神木の周りに十二支のお社が祀られていて、参拝者の干支の社にお参りできるシステム??がありました。

という訳でしたがの写真には、戌と亥がありました。

Himg0720
Himg0721

●荒ぶる狛犬

神社に行くと、それぞれ狛犬の表情や恰好が違うというもので、それなりにまとまった格好をしていればあまり気づく事はないかもしれませんが、これはちょっと目を止めて見てしまうのではないでしょうか?身体の反り具合に口の開け具合にと。

Himg0722

●境内

正八幡宮の様子に終始したこの記事となりましたが、境内の一角はこんな感じです。

行橋駅からほど近いので気軽に歩いて寄れます。

干支めぐりはちょっとユニークで、自分の干支の祀られている所を、願いを込めてお祈りするのは良いかもしれません。

Himg0706

2018年3月30日 (金)

福岡/柳川② 柳川温泉 輝泉荘あたり

福岡県柳川市、福岡/柳川① 川下りと華麗なる「さげもん」に続いての柳川編第2弾です。

前回は2011年3月の様子でしたが、今回は2017年7月、約6年ぶりの柳川訪問です。

●輝泉荘外観

この時は柳川訪問したものの、旅というよりは温泉宿に泊まりに来た色合いの方が強く、夜にここに来て、朝早くには立ち去りました。

西鉄柳川駅からは少し距離があるのでタクシーでやって来ましたこの「輝泉荘」です。

温泉宿というよりも、日帰り温泉に宿泊部屋がついたような感じで、現地に着いてからそれを知ったので、てっきり温泉宿的なものだと思った…と思って行くと拍子抜けすると思います。

Dscn0218

●輝泉荘 遠景

道路からそれた形で位置しており、広い駐車スペースがあります。

手前には幟が立っていて、写真ではこれだけに見えますが、この手前にいくつも並んでいます。

Dscn0224

●輝泉荘に入る

チェックインした時に、真ん前が浴場で、ホテル宿泊のチェックインと日帰り入浴の受付とを兼ねたフロントでした。純粋な温泉宿をイメージしてやってきたのでアレ?となりましたね。

で、この写真はホテルのエレベーターで、その床面がこのように畳になっていました!

Dscn0215

●通路一角

ホテルの部屋へ向かう通路の様子です。

その途中で座れるベンチもありました。宿泊中にお風呂から上がって部屋へ戻る前にこういうとこでゆっくりするの好きです。

Dscn0213

●ルームキー

木製のバーに鍵がついた形のものでした。

この時泊まった部屋の名前は「百合」でした!

Dscn0214

●室内

その百合の間の室内です。

戸の部分は単色で模様がついたものではありませんでした。

和室で布団が敷いてあったら、なんだか安心します。

この時の宿泊代が確か\7,300位だったと思います。

チェックアウト後にWorkmanを忘れてしまい、帰りの電車内で宿の方から電話頂いたのも苦いながら良い思い出です。すぐに着払いで送って下さって…その節は大変お世話になりました!

Dscn0208
Dscn0212
Dscn0210

●バス停

ズバリ輝泉荘前という名のバス停があります。

ホテルを出て駐車場あたりの長めの通路を歩いて道路沿いへまで出ずにギリギリ敷地内というあたりの場所にこのバス停があります。

ただこれは柳川市のコミュニティバスで、ここへは1日3便しか出ていません。

Dscn0219

●保加町の川

輝泉荘前のバス停では便がなく、また柳川駅まで行きそうにもなかったので、これをスルーしてバス停のありそうな場所へ歩いて行きました。

その途中でこのような濃度の濃い?川に出くわして、ここには結構亀が泳いでいました。やっぱり鼻先だけは水面から出ているのですね。

Dscn0234
Dscn0237

●保加町の木造建築

川から離れて道路に出て、柳川駅行きのバス停間近というところです。

昭和の佇まいそのままの一角がありました。

前回記事の柳川駅周辺のような華やかな街並みとは打って変わって、郊外の一角を少しだけでも感じる事ができたのは6年ぶり再訪しての収穫でした。

Dscn0244

2018年3月27日 (火)

福岡/柳川① 川下りと華麗なる「さげもん」

福岡県柳川市、西鉄/柳川駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●駅前通り

「北原白秋のふるさと 水郷 柳川の歓迎看板がありました。

川下りのある水郷でありも雛の郷でもあります。

詩人・北原白秋(1885-1942)のふるさとであり、その生家は今も保存されているといいます。


Himg0514

●川下り乗船場へ

の道です。

柳川観光の代表的なものとして、川下りがありますが、そこへの案内がここにありました。

こういうのがあると分かり易くていいですね。

Himg0521

●三柱神社入口

にあたる朱塗りの橋です。

そしてこの橋の架かっている川から、川下りの船が出ています。

流鏑馬が行なわれるとの看板が出ていました。毎年3月最終日曜日に開催されるという事で、今年は3月25日だったのでしょうか。

この神社は2005年に放火による火災で本殿こそ免れたものの、主要な建物を多く焼失し復興中という事で、この時は復旧奉財金を募っていました。いまもまだ復旧中だとか。

Himg0524
Himg0525

●船と川下り

沢山の船が停めてあって、川幅が狭くなった部分を川下りしていました。

この時あいにくの天気だったので、全員合羽を着て乗っていました。

所要時間は約1時間とありました。そんなに長いこと乗ってんの?て感じでしたが…。

Himg0528
Himg0531

●川下り乗船場

お城を思わせるような立派な白壁の建造物ですが、これが川下りの乗船場です。

この時はあいにくの天気もあり乗りませんでしたが、のりばがこんな素晴らしい建物とは…。

Himg0533
Himg0534

●並木道

三柱神社へと進む長い並木道です。

ちょうど今時期には桜がきれいに咲くようです。この頃は3月20日だったのでまだその季節にはほんの少しだけ早かったですが、今頃行くと丁度良いのではないでしょうか?桜のある所はどこでも今時期がいちばんいいのは当たり前ですが(笑)

Himg0536

●緑いっぱいの広場

高畑公園という名の公園の一角にもなっている、というべきでしょうかこの三柱神社の境内スペース。

この両者の関係性がよく分かりませんが、こんな緑に満ちた部分もあります。これは高畑公園の地図内に記されていました。左端に写り込んでいるのは相撲場です。

Himg0542

●水天宮

手足、腰の病守護神ということで、ここに書いてある方たちが祀られています。

水天宮として安徳天皇とありますが、幼少の身で天皇となり源平最後の「壇ノ浦の戦い」で源氏に追い詰められた平氏一族と入水を共にし、わずか8歳でその生涯を閉じる事となった悲劇の幼君ですね。

それ故水天宮なのでしょうか。歴代天皇で再短命で、また強制的にその生涯を閉じる事となった稀有な天皇です。

Himg0553

●熱の神様

これは道了神社という「熱の神様」です。

手足や腰の神様もいて、熱の神様もいてと、五体には非常に大切な神様が揃いに揃っているエリアといえますね、この三柱神社辺りは。健康不安のある方御用達といったところでしょうか。

Himg0555

●三柱神社 拝殿

2005年に火災で焼失した拝殿は2008年に復興したそうですが、その他主要施設は多くまだ復興中という事で、中途半端な佇まいとなっています。

復興後の拝殿は屋根裾が尖って突き出していてカッコいいものとなっています。従前の姿に忠実に復興させたのかどうかは分かりませんが。

Himg0559

●街へ

金融機関のあるとこら辺へ出てきましたが、飾りつけのきれいな通りでした。

Himg0573

●船が渡る

柳並木を川下りしていく船、とっても情緒に溢れた風景ですね。

実際船に乗っている方々は合羽着て大変ですが。

料金は大人1500円、こども800円とありました。

Himg0574
Himg0590

●ひな灯り通り

という横断幕の架かった通りがありました。

柳川は川下りの街と共に、御雛様の街でもあり、この側面も見逃す事ができず、というより至る所で目に飛び込んできます。

Himg0577

●さげもんめぐり

右側の藤まつりも大変素敵ではありますが、柳川といえば雛人形です。

柳川雛祭り さげもんめぐり とあります。

「さげもん」とは柳川地方では女の子が生まれると初節句から子供の健やかな成長を願い、ひな壇と一緒に飾る色とりどりの飾りの事をいいます。

市内の商店や古民家などを巡ると、このような飾りがあったりして、それらを巡る催しという事です。2018年のスケジュールは2/11~4/3という事で、来週には終了しますが、現在はまだ開催中です。

柳川へ行って川を下って、綺麗な「さげもん」見て巡るのも良いかと思います。

Himg0596

2017年8月12日 (土)

福岡/古賀 フードコートで寄り道

福岡県古賀市、JR古賀駅前の様子です。

(2017年7月当時)

●古賀市観光ポスター

JR古賀駅構内にそれぞれの古賀市のポスターが貼ってありました。

ちなみに冒頭リンクの駅記事は2008年訪問のもので、今回記事の写真はすべて先月2017年7月のものですので直接的なつながりはありません。

「薬王寺の湯」など惹かれるのですが、この古賀駅から距離があり、行きたい場合は少しまとまった時間が必要ですね。歴史街道あり山里あり、といったところですが、今回再訪時もなかなかそういう場所は行けませんでしたが、1ヶ所遺跡に行けたのは収穫でした。

Dscn0177

●Daiei

今やすっかり懐かしのものとなってしまった、このダイエーの鷹のイラストが駅前自転車置場の管理場?らしきところにありました。

10年ひと昔といいますが、まさにそれを感じさせられます。いつの間にかあっさりソフトバンクになってしまったな、という印象でしたが…。

Dscn0179

●未来に残したい巨木

として登録されている古賀駅前(東)のニビシ醤油という会社の前にあるクスノキです。

樹齢100年、高さは15mとあります。意外と若いな、という印象でしたが…樹齢ほどよく分からないものはないと一方にはあり、神秘を感じる部分もあります。

Dscn0182

●古賀駅前

西口の駅前です。

東口よりも街らしい景色、というか市の中心駅前の佇まいです。

下2枚中、上側の写真の写真が線路沿いの道路で、右側に隠れる形で古賀駅が存在しており、下側の写真はそこから左側の大きなビルの前で左折した、線路と垂直な駅前通りです。ただしこの通りの長さはすぐに無くなり、T字路に突き当たる事となります。

Dscn0189
Dscn0194

●古賀市マンホール

2パターンあり、いずれもカラーで遭遇できました!

上側はなんただろうと想像していたのですが、なんだと思いますか??

「下水処理場」のデザイン

だそうです。確かにマンホールといえばズバリそのものなのですが、大体その自治体に因むものが描き込まれている訳で、この発想は逆に斬新に思えました。

下側は市の花であるコスモスがピンクカラーで描かれたものです。

Dscn0195
Dscn0196

●フリーエリア?

古賀駅西口の駅前通りを歩いていると、このような屋根つきのものが見えてきました。

こういうのを見ると、SLでも展示してあるのかな?と反射的に思ってしまうのですが、特に何というものはありませんでした。

Dscn0198

●「古賀」バス停

古賀駅から駅前通りを少し歩いた所にある「古賀」バス停です。

隣のJR古賀駅行きは1時間平均2本程度ありますが、他の方面には1日1、2便程度で、ほとんど利用できないかな、という感じでした。

Dscn0199
Dscn0200

●古賀保線管理室

駅西口の駅前道路を引き返してきて、線路沿いを右に歩いていたところ、渋すぎる建物を見て思わず撮ってしまいました。後から見たら、保線管理室であったと。人がいた感は全然なかったですが…

Dscn0201

●SunLive

サンリブというスーパーマーケットチェーンが駅前にあります。駅前すぐというより西口から右へ少しずれた位置にあります。小倉を本拠とするチェーン店ですが、ここ古賀には1992年に開店したといいます。

この店舗の総面積は20,000㎡あまりで、正方形だと140m程度の四方ですね。ただのスーパーであれば寄ったかどうか考えましたが、フードコートもあるという事で寄ってみました。一時代前の雰囲気ながら、駐車場には沢山の車が停まっていました。この辺で買い物できそうなのは、ここしかないかなという感じでした。歩いていての個人の感想ですが。

Dscn0204

●ざるそば定食

サンリブ内には1Fにフードコートがあり、ミスタードーナツなども入っており、その中でこういう食事の出来るお店「ハッピーメイト」さんにてこのような「ざるそば定食」を注文しました。暑い時にひんやりしたざるそば、おいしかったです。他にもお好み焼き、焼きそば、ちゃんぽんやドリンク、アイスクリームと幅広くありました。

このお店はこのサンリブができる1992年以前から古賀市の方々にはご愛顧頂いている、とありました。また博多華丸・大吉の大吉さんは定期的にこのお店に寄っているのだとか。大吉さんは古賀市の出身で、ふるさと大使も務めているとありました。なるほど、そういう事なんですね。

その街ならではのものを食べられるともっと良いのですが、その街の名物店的なところでお食事を頂くのもまた良い想い出になるというものですね。暑くて脇目を振る余裕もなくここまで歩いて来ましたが、来てみて良かったと思います。

Dscn0205
Dscn0205

2017年8月 3日 (木)

JRししぶ駅 (福岡県古賀市)

福岡県古賀市のJRししぶです。

古賀市ではJR古賀駅をupした事がありますが、これに続いて古賀市の駅の御紹介です。

-JRししぶ駅
【路線】JR鹿児島本線(門司港-鹿児島間)
【開業】2009年3月14
【訪問】2017年7
【1日あたり平均乗車人員】 1,411人/日 (2015年)
【近隣の都市駅(門司港方面)古賀駅→隣駅
          (鹿児島方面)新宮中央駅→隣駅、香椎駅→4駅


駅名標


このブログにしては鮮度の高い、先月訪ねたばかりの駅です。以前古賀駅に行った訳ですが、特に記事にできるほどの訪問はしておらず、およそ旅とよべるものではありませんでした。

今回、少し時間を割ける機会があり、こんな所にも寄ってみよう、というところで

「ひらがな駅名である事」と、

「かなり新しい駅である事」

惹かれてやって来ました。

元々「鹿部」という表記であり、駅ができる時の仮称もこの漢字表記であったそうですが、周辺に分かり易くするためにあえて現在の平仮名表記にしたそうです。

2009年開業という事で、まだ開業して8年という新しい駅です。この辺りは、どんどん新駅ができていった印象があり、周辺の駅の開業年はこのような感じです。

千鳥 1991年

 
古賀 1890年
 

ししぶ 2009年
 

新宮中央 2010年

古賀駅の隣に2009年に当駅が開業し、更に翌年にはその隣にも新宮中央駅ができた、という時間軸で、よほど古賀駅周りの新駅要望が高かったのでしょうか。

Dscn0119

●ホーム

両サイドにホームがあり、各々内側に線路が通っている2面2線のホームです。

両ホームにはそこそこの長さの屋根がついていますが、市の中心駅ではない事もあり、それに見合うようなスペックは用意されていないと思われます。

向こうへ行くごとに階段が近づき、そこには橋が通っていて、橋上駅舎である事が分かります。

階段の下はドアがついていて収納スペースか何かに使われていると思われます。この階段の下も柱だけの物から、このようなスペース用のドアがつけられているものまで、千差万別というものです。駅を訪ねてそういう違いを見るのも楽しみ方のひとつです。

Dscn0118
Dscn0172

●階段と通路

下2枚の写真中、上側の写真はホームからの階段です。

この階段を上がって改札に行き着きます。

まだ新しい駅で経年劣化の無さを感じました(笑)

下側の写真は、改札を出た後の通路で両出口へ繋がる歩道の部分です。

一見、ホームとホームを結ぶだけの跨線橋かと思う程の通路幅の狭さでした。

手前に写っている階段の上部は「美明口(東口)」という出口への案内が出ています。美明口というのは、この周辺の古賀市美明という地名に因むものです。ちなみに西口は「日吉口」とあります。

Dscn0120
Dscn0121

●駅前広場

東口駅前広場のモニュメントです。

この近くにある鹿部田渕遺跡を表したものと思われますが、古墳時代を中心とした建物群の遺跡があり、歴史公園として存在しています。この周辺の柱もそこには沢山立てられていて、当時の暮らしの片鱗を垣間見る事ができます。

Dscn0122

●歴史と未来の窓

と左側の説明部分には記されていました。

モニュメントの所の真ん中のメインの建物の事かと思います。

説明板の内容を写真に撮ったのに、ビックリするほどボヤけてて載せるに値しないものとなってしまいました。

Dscn0123

●駅前バス停周り

駅東口出てすぐ、駅前広場の手前側の辺りですが、バス停に合わせてか、屋根が縁を通っていて、バスは雨をよけて待てるようになっています。傍にはベンチもついています。駅前バス停でも屋根もベンチもないような所もあるので、そういう点では設備が整っていると言えます。

屋根庇は外周をぐるっと囲む形でつながっています。

Dscn0169

●バスダイヤ

駅前の雰囲気と共にバスの時刻表を。

新駅らしいというのか、駅前感が希薄というか…、新駅は駅前広場はよく整備されていたりするのですが、駅前の街並みが駅前感が薄いところが多いなというのを個人的には感じます。

でバスについては、ここは3つの行先があります。

1.古賀駅東口

2.グリーンパーク

3.舞の里

このうち2.が最も多く1日9便程度、1.は5~7本、最少が3.で4~5本です。いずれも土日も運行しています。1日に約20本の便がここにやってくる事になります。ならすと1時間に2本弱の頻度で何がしかのバスが来る格好ですね。

古賀駅は隣駅ですが方角的には北、舞の里はその延長上の方向で、グリーンパークは西(内陸)の方になります。ちなみに古賀グリーンパークとは、自然と健康をテーマとした公園施設という事で、サイトを見るとカラフルな遊具も結構ありました。この時期御家族向けには良い所そうな感じでした。

Dscn0165
Dscn0166

●JR時刻表

駅外にある時刻表です。

駅を出てこのように時刻表があるというのは結構珍しい気がします。

1時間に3,4本程度が平均的なところです。博多からは25分前後というアクセス至便性はこの辺りに多数の新駅をもたらしたという事でしょうか、ベッドタウン的に。

Dscn0164

●古賀市案内マップ

このししぶというよりは古賀市としての地図がありました。市の中心駅でないにも関わらずこのような地図があるというのは、それなりの位置づけという事かもしれないな、と思ったものでした。

この古賀市では割に海沿いに線路が通っているのですが、観光として面白いのは線路から遠い内陸部のようで、この辺りは寄りたくてもなかなか寄れませんでした。交通の便の関係もあったりで。

Dscn0168

●ししぶ駅 駅舎

東口しか撮っていませんが、駅舎です。

いかにも橋上駅舎のいでたちですが、四角の上に台形が載っているような形の駅舎です。

同時期にできた隣の新宮中央駅も似たような形の駅舎です。

何か店なり入っているといいのですが、そこまでのスペックがそもそも要求されていないのかもしれません、中心的機能は古賀駅に譲る面も多々ありかなというところで。

再来年でようやく開業10周年ですが、今後この駅前周辺がどのように駅前らしくなっていくのかいかないのか?その辺りが目下の興味の沸くところですね。

以上、ししぶ駅でした。

Dscn0125
Dscn0127

2017年6月25日 (日)

福岡/小郡 何気ない日本三大合戦舞台

福岡県小郡市、西鉄/小郡駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●駅前通り

駅前ロータリーから西へと通っている通りです。

中層の商店が立ち並ぶ中で、高層マンションがちょいちょい見えていて、という
駅前風景になっています。そのおかげか、閑散という感じではなく、それなりの
街感?はあります。

甘木鉄道の小郡駅はこれを右にそれた形に位置しており、200mも歩けば
行き着きます。

Himg0297
Himg0294

●街灯

小郡には織姫彦星の伝説があり、「織姫オーディション」なるものがあったり、
ゆるキャラも「彦星くん、織姫ちゃん」なるものが存在しています。

Himg0298

●小郡市役所(本館)

西鉄小郡駅から出た冒頭写真は駅西側ですが、市役所は駅東側にあります。

という訳で反対側に回り込んでのここ小郡市役所です。

この建物は4F建ての「本館」で、他に5つほどの別館が周辺を固める感じで
建っています。本館は昭和37年築でそこから増築や耐震対応などを経て、
今に至るというところです。人口5万人台の市役所の割に規模大きいな、というのが
感想でした。

Himg0300

●小郡市役所 南別館

本館とは唯一道を隔てた形で存在する「南別館」です。

本館のようなピシッとした建物とは対照的な感じで、コンクリート色丸出しな建物
となっています。昭和50年築との事で40年以上が経過しています。

正面に市役所別館という表示があるので分かったのですが、そうでなければ
金融機関の建物かと思ってしまいます。実際「福岡県南部信用組合」がこの市役所の
建物に入っていますが、この信組は久留米に本拠地があり16店舗を数えるといいます。

金融機関だけの建物ではなく、市役所の機能も有していて、信組は1Fの半分を
占める形で、残り半分は市役所の生活環境課などがあり、2F3Fも市役所の部署で、
農業振興課等々がここに入っています。金融機関の方と、市役所の方が知り合う
事もあるかな、という感じの共有の建物となっています。

Himg0304

●市役所前の道

市役所本館と南別館を隔てている道路で、市役所前の道という格好になりますが、
こんな感じの街並みです。

Himg0305

●市役所横の公園

市役所本館のすぐ東にある「東町公園」です。

とにかく碑が沢山建っているのですが、1359年に起こった大原合戦とよばれる
壮烈な戦いの舞台になったという事で、下に載せている写真のいちばん上の写真の
左端には「鎮魂」碑がありますが、これはその戦いの650年記念として2009年に
造られたものです。

この戦いはあまり知られていないかもしれませんが「筑後川の戦い」とも呼ばれ、
日本三大合戦のひとつとされている事があります。戦死傷者は2万5千を数える
といわれ、それだけに鎮魂費や関連遺跡が多数あるとか。結構地味にすごい場所
であったりしました。

ここはそれらのものが集結している感じで、特に夜になると「気」のようなものが
強く感じられるのかもしれません。

あまり歴史の教科書的には知られていない事かもしれませんが、この合戦により
南北朝時代の10数年間は九州では菊池氏が政治実権を握っていた形となります。
九州といえばどうしても島津氏や大友氏などを想像しがちですが、少なくとも
今の熊本県菊池市は今も自治体名としてその名が残っている格好になっています。

教科書では教えてくれない歴史を現地で学べるのも旅の醍醐味のひとつですね!

Himg0309
Himg0314
Himg0315
Himg0308

●無料回収

市役所や東町公園に面した道路を東へ(駅から離れて)進んだところに、
このような不用品引取りのスペースがありました。手書き感が凄かったです。

期間延長の「延」の字がよく分からない事になっていました。

Himg0318

●小郡郵便局

先程の引取り場のすぐ傍にある小郡市内の中心局です。

駅からだと400mくらい歩く事になるでしょうか。

山口県のJR新山口駅を最寄とする郵便局も「小郡郵便局」としてその名が残って
おり、駅名は小郡⇒新山口に変わっても郵便局名は変わりなかったようです。

Himg0319

●西側へ

最後に西側へ戻ってきましたが、そのワンカットを。

何という事はないのですが、この標識の角を右に曲がると小郡駅前の広場に
行き着く事となります。

左側に写っている西日本シティ銀行は、2004年に西日本銀行と福岡シティ銀行と
が合併してできたもので、全188店舗中160店舗が福岡県内にあるといいます。

Himg0320

2017年6月17日 (土)

甘木鉄道/小郡駅 (福岡県小郡市)




福岡県小郡市の甘木鉄道/l小郡(おごおり)です。

小郡市では、西鉄/小郡駅をupした事がありますが、同じ場所にある同じ駅の
御紹介です。

-甘木鉄道/小郡駅-
【路線】
甘木鉄道甘木線(基山-甘木間)
【開業】1939年4月28日
【訪問】2011年3月
【1日あたり平均乗車人員】 1,011人/日 (2008年) 
【近隣の主要駅 (基山方面)基山駅→2駅
           (甘木方面)甘木駅→8駅 


●駅名標周辺

今から6年前、2011年3月当時の姿です。

「おごおり」というと、今の新山口駅がかつて名乗っていた駅名ですが、その当時
からここ福岡県には小郡市があり、この小郡駅という名称は1986年から使用され
ていて、開業以来それまでは「筑後小郡駅」として旧国名が冠されていました。

山口県の方は旧・小郡町(現在は山口市)で、2003年までこの駅名で、以後は
現在の新山口駅となっており、1986~2003年の17年間は両方に「小郡駅」
として存在していた
格好になります。

駅ホームはこんな形で階段を上がった先にあり、その正面にこのように駅名標が
見える形になっています。

西鉄小郡駅との位置関係は互いにほぼ十字交差しており、南北には西鉄が、
東西にはこの甘木鉄道のそれぞれ小郡駅が存在しています。両駅間は約200
mで、西鉄の小郡駅の出口がここ甘木鉄道の駅からは少し離れている為に、
駅間自体は距離が短くても、移動距離としては長くなるという形です。

それにしてもこの駅名標、駅名自体は漢字表記がないのですね。

ちなみに向こう側に見えているのは大分自動車道です。

Himg0284
Himg0283

●ホーム1

御覧のように1面1線のみのホームです。

西鉄の方がメインで、同じ小郡駅の利用者数比で西鉄:甘木では約5:1と
なります。

よってこちらの駅は市名を名乗る中心駅でも規模は小さく、単なる沿線中の1駅
の要素が強いです。

こちらは基山方面として西側へのカットですが、こちら側の隣駅である立野駅は
佐賀県であり、甘木鉄道では当駅が福岡県最西端という事になります。

Himg0285

●ホーム2

反対側の甘木方面(東側)への眺めです。

自販機の横のこういうカットも少し前のものになると懐かしくて、よい記録になるな
とつくづく感じます。

向こうに薄緑の橋が見えますが、この地点で西鉄の線路と十字交差しています。

この甘木鉄道甘木線において、途中駅で他の路線との乗換があるのは当駅のみ
です。そういう意味では重要な拠点駅という事になるのかなと。

Himg0286

●ガイドマップ

西鉄小郡駅との位置関係が分かり易いマップです。

この駅周辺は主要施設こそありますが、観光に適したものは別の駅の近くという
漢字です。

Himg0281

●甘木鉄道売店

駅入口から階段を上がったところです。ここから上がればホームですが、
ちょうど真ん中のフロアにあたります。

酒房「道」という店が入っていたり、「取次所」として、定期の窓口になっていたり
していたようですが、この酒房「道」は検索してもなかなか出てこず、この時は
こののれんの向こうで営業していたのでしょうか?実際に行っても中が怪しげ
過ぎて確認もしませんでしたが。

沿線内で単なる1駅でない部分というと、こうした施設があるというところです。

定期窓口と居酒屋?と隣合わせた不思議な空間でした。

Himg0280

●時刻表運賃表

ダイヤ的には時間帯によってかなり便数が違っていて、1時間に4本が最多で、
最少は1本となっています。通勤通学の行き帰り時間帯が多く、他の時間帯が少ない、
実に分かり易いダイヤとなっていました。

料金的には甘木駅まで310円(現在は320円)ととなっていて、隣駅でも大板井駅は
なんと110円です。JR含め大人の鉄道運賃で120円より安いものをここで初めて
見たように記憶しています。今でも後にも先にもここ以外は知らないです。安い!

Himg0279

●甘木鉄道小郡駅 駅舎

こじんまりとした建物ですが、3F建てとなっています。

入口階段横の銀河鉄道を思わせるデザイン描画が何気に印象深いです。

駅舎自体がボコボコした雑然とした雰囲気ですが、このイラスト部分だけ
がキリッとした感じになっています。

特別これといって駅前広場的なスペースがなく、バス・タクシーなども西鉄駅の
方に集まる形となっていて、そこから200m歩くとこんな感じで、道の一角に
唐突に駅が建っている、そんな感じです。この駅舎は6年経った今も変わっていない
ようです。

Himg0277
Himg0273
Himg0275
Himg0278

2017年3月17日 (金)

福岡/直方 陣屋と遺跡と昭和と

福岡県直方市、JR直方駅からの歩き旅です。

(2010年4月当時)

●駅前通り

今から約7年も前の姿になりますが、直方駅の駅前広場から駅前の道路へと進んで行く様子です。

左側に見えている「Sun Live(サンリブ)直方」という、中国地方西部から九州に多数店舗を持つスーパーマーケットチェーンが写っていますが、昨年2016年8月に閉店してしまい、1.5kmほど北の郊外に移転してしまったそうです。ドーナツ化現象なのか、小都市の駅前って寂れていくなぁ、という事を先日別の町で体感しましたが、ここもそうなったか…という感じでした。

Himg0160

●直方陣屋城下町

という看板が駅前にありました。

江戸初期の1623年に黒田長政の遺言により、福岡藩の支藩として開かれたのがこの直方藩であったといわれ、当初は東蓮寺藩という名称であったそうです。

この絵にあるのは1700年ごろの城下町の様子です。

藩ができた頃は数百人の下級武士がいたとされ、市街地が形成されていったそうですが、当時は一国一城令のもとで、藩主は城ではなく、陣屋に住んでいたといい、陣屋城下町といわれるゆえんでもあります。藩が開かれて50年ほど経った1675年東蓮寺の地名を直方に改められ、「直方藩」という名称になったそうです。その後1720年に藩主の黒田長清が没し後継がなかった為、直方藩も廃藩を迎え、この藩は約100年でその役目を終える事となり、本藩の福岡藩へ還付されたといいます。

Himg0162

●圓徳寺

直方駅よりほど近い位置にあるこのお寺、先述の直方藩の創設に伴って、この地に移設されたといわれています。城下町を守る要塞としての役割を果たしていたといいます。

Himg0165

●直方マンホール

市の木「たいさんぽく」と明確に銘打って表示されています。この潔さがなんとも素晴らしいですね。あんまり「市の木」と律儀に書いてるマンホールは見た事がないので。

たいさんぼくは、「泰山木」あるいは「大山木」と表記し、モクレン科の常緑高木という事ですが、花径が50~60㌢にもなるといわれ、日本の樹木としては最大の花径を誇るといいます。

また直方市では、このたいさんぼくの他にもヤマボウシというミズキ科の植物も市の木として指定され、市の木が複数存在しています。

Himg0170

●懐かしげな一角

これまた直方駅前よりほど近い地点のカットですが、この昭和感はたまりませんでした。建物の出来合い感というか、看板も何十年となく変わってなさそうな印象も受けるし、この前に立ってしげしげと見続けていたいとさえ感じました。

Himg0173

●林芙美子 碑

直方駅前にある公園の一角です。先ほどの昭和感満載の一角の道隔てて向かいにあります。

「私は古里を持たない 旅が古里であった」と刻まれていました。

舞台上演回数が実に2,000回を越えた「放浪記」の作者として名高い林芙美子(1903-51)は幼少時にここ直方の木賃宿に滞在し、両親と行商生活を送っていたといいます。母親がバナナの叩き売りをして、近くで芙美子自身もアンパンを売っていたと。親が旅から旅の行商生活というところから出てきたフレーズでしょうか。代表作が「放浪記」というのも実に「らしい」と思います。

彼女の命日辺りにはこの石碑が少し飾られて、献花もされてということで「芙美子忌」としてちょっとした盛り上がりを見せるようです。

Himg0175
Himg0174

●須崎町公園遺跡

その林芙美子碑が端にあるのは、この須崎町公園で、ここはまた遺跡としても存在し、江戸時代の直方陣屋城下町下で、江戸期の陶磁器などが出土した事が発掘調査で分かったといいます。

他にも江戸後期の墓地や多量の瓦を廃棄した後なども見つかったといい、江戸期の生活を色濃く伝える遺跡として貴重な存在といえます。

Himg0176

●公園とステージ

最後はこの写真、公園の全体像とそこにはステージが設置され、時にここでライブや市のイベントなどもあったりするそうです。

床面が曲線で盛り上がってるのがなんとも、ですが、こういう加工って結構難しいのでは?と思ってしまいます。隙間なく、タイルの四角形の形も崩さずして、実に見事でした。

Himg0177
Himg0178

2017年1月13日 (金)

福岡/福津 またまた又ぜー

福岡県福津市、JR福間駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●赤いバス

福間駅から眺めた駅前の様子です。

「OMNIBUS」と書かれた赤いバスがありましたが、JR九州の路線バスとありました。

JR九州といえば鉄道車両もこのような色の列車も見られますが、このバスの車体には「RED LINER」とあり、どこか鉄道車両を思わせる雰囲気に満ちていました。

Himg0657

●駅前を見下ろす

これも福間駅からの様子です。

あいにくの天気で余りで歩きづらそうであった事もあり、まず駅から見下ろしたカットをいくつか撮っていたものです。

駅前の通り様子が俯瞰できて分かりやすいと思いますが、商店街的な通りが続いている事が窺えます。

Himg0655

●駅前通り

上の写真で見下ろしていた向こうへ続いていく道を実際に下りてきて通ったものです。

「平和タクシー」という看板など、どこか昭和あるいは20世紀を思わせる雰囲気ですが、2011年当時の様子です。

Himg0663

●又ぜーが里

これも上の写真で右向こうに少し見えている靴屋さんの店先のカットです。

福間駅の記事でもありましたが、ここ福間は「又ぜー」の里という事で、福間駅の駅名標にもこの絵が描いてありますし、何せ「又ぜー」です(笑)

Himg0664

●小烏神社

「こがらすじんじゃ」というそうで、1854年築の神明造の社殿があったそうですが、約140年にもわたる星霜を経て老朽荒廃化し…とありました。1995年に再建記念碑が立てられています。

Himg0666
Himg0667

●福間マンホール

旧・福間町時代のマンホールです。

当時の町の花スイセンと「九州の湘南」とよばれる福間海岸とが描かれているそうです。

「九州の湘南」たるゆえんは、ウインドサーフィン等のマリンスポーツが盛んで、その手のものでは屈指のスポットだという事です。更には青い松林や、夕陽も綺麗だとか。

Himg0671

●福間郵便局

福津市は福間町と津屋崎町との合名による「福津」で、その福間の中心たる所がこの辺りで、同時に福津の中心にもなりますが、やはり平成の大合併で新たにできた市名に合わせるというのは合併から10年ほど経とうとしている今でもなかなか少ないものですね。

やはり改名による計り知れない費用計上を考えると、なかなか変えられない…という事になるのでしょうか?昔から慣れ親しんだ地名をなくさないでほしい!などもあるのでしょうね。

Himg0672
Himg0673

●又ぜー広告

これは福間駅のほぼ向かいのバスのりばのベンチが並んでいる所で、「お買物は 又ぜー通り商店街へ」とありました。

その下の写真では商店街の駐車場の地図もありました。ある店では、ここで買い物をすると、これら駐車場が20分フリーで利用できます、等あるようですが、「20分」とは…という感じもします。商店街といえど、構成する店の数はさほど多くないようです。

ベンチの真上に並ぶ広告群がレトロ感溢れていました。

Himg0676
Himg0677

より以前の記事一覧