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19山梨県

2018年6月14日 (木)

山梨/笛吹 ホテル石庭のおもてなし

山梨県笛吹市、JR石和温泉駅からの歩き旅です。

(2017年8月当時)

●ホテル石庭

昨年夏、お盆の旅で立ち寄りました。

冒頭の石和温泉駅のリンクは2008年当時のものですが、本記事写真は2017年再訪時のものです。2008年は石和温泉は周辺のみ寄っただけで、再訪した17年は温泉宿に泊まろうという事でたしか当日チェックインの形で予約しました、それがこのホテル「石庭(せきてい) 」です!

JR石和温泉駅から歩いて行ける距離に温泉街が立ち並んでおり、このホテルであれば駅から徒歩約15分、距離にして1.2km程度の所にあります。という訳でこの時も夜の暗い中、駅から少々迷いつつ歩いてやって来ました。

ちなみに近くにコメダ珈琲店があり、寄ってみましたが、サンドイッチ2つくらいで満腹になりあえなくかなり残して店を立ち去りました

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●文字通りの石庭

ホテルの名の通り、立派な石造りの庭園を持ち合わせていました。

それはそれで見事だったのですが、それよりついつい寄ってくるコイに見入ってしまっていました。

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●コイの争奪戦

という訳で、水辺へ寄ると瞬く間にコイがどんどんと寄ってきました。

この時特に餌も何も持っていませんでしたが、人の気配で何かくれる、と思って寄ってきたのでしょうか、それはもうすごい勢いでした。これを見てもその辺りの様子が垣間見られると思います。コイつらの競争心というか執着心というか、凄まじいものがあります。

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●ロビー

立派そうな雰囲気のロビーがありました。

昔はこういうの気にも留めませんでしたが、よくよくこういうのが目に留まるようになると聞くぶりとか配慮とか、こういうところになされているんだな、という事を感じるようになりました。

まぁなかなかの温泉宿だな、という事です。

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●小冊子

チェックイン時にもらった説明用の小冊子です。

大浴場は24時間OKなのが嬉しいところでした。

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●ホテルキーとお菓子

温泉宿ならではの昔ながらの重厚なルームキーです。ビジネスホテルも昔はこのタイプが主流でしたね、もっと大きなやつで。

そしてお菓子は「巨峰きらら」というぶどうの柔らかいグミ状?のもので、おいしかったです。

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●ゲタと玄関

「石庭」のネームの入った下駄が印象的でした。

そして玄関はこんな感じでした。和室万歳!

手前側に見えている畳の部屋は、玄関と部屋とをつなぐ間で、サイドにバスやトイレなどがあります。

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●バス・トイレ

24時間入浴可能な大浴場はありますが、部屋にもお風呂場は存在します。もちろんトイレも。

お風呂場が黒を基調としたものすごく洋風な感じのものでした。

そしてトイレと洗面台は仕切られていました。

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●寝室

和室で布団敷いてあるってに幸せを感じます。

洋室なら絶対敷いてある訳ですが、和室はなんかいかにも人手で敷きましたよ感に満ち溢れているのでいいですね。

床の間があり掛軸があり、骨董の壺があり、色んな所で雰囲気出ています。

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●ふすまの向こう

この向かい合った椅子がいかにも温泉宿というか、雰囲気出てますねぇ。

用がなくても敢えてここに座ると、なんか落ち着いたりします。この奥のスペース、ひと部屋余分にある感が好きです。

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●ポットとか

ネスレのバリスタ?のやつ、カプセル式のコーヒーが飲めるマシンが置いてありました、結構珍しくないですか??

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●タオル

石庭の名前が入った、ホテルのタオルです。

石和温泉郷というのは歴史がありそうで意外と浅くて、1961年になって湧出が確認されたという昭和からの歴史しかない温泉です。しかしそんな中で有名刑事ドラマのロケ地として複数使われたりもしていました。

今でも50程の温泉旅館が営業しているという事で、かなりの温泉街として君臨し、山梨県では屈指の温泉どころです。そんな所に泊まってみない手はない、という事で宿を当日取りで決めましたが、ホントに来て良かったと思えました。

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●石庭おすすめ

「山女の塩焼」

「甲州とりもつ煮」

とありました。いずれも600円です。

ラストオーダー19:30という事でチェックイン時にはもう終わっていました…

早くチェックインしたら食べてみてもイイですね。

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●朝食

バイキング形式の朝食でした。

海苔にホテル名が刷り込まれていたのが印象的でした。

ちなみにここを利用した時の宿泊料は¥8,200でした。夕食なしの朝食付で。コンビニも近くにあるし、周りに何もないような所とは違うので、晩御飯ぐらいはここで食べなくても…という感じでした。そもそも晩入るのがあまり早くなかったので晩御飯など食べられるような時刻ではなかった訳ですが…。

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温泉宿にしてはリーズナブルでそこそこのグレードを保っているいい旅館だったと思います。

ほぼ宿そのものの記事になってしまいましたが、笛吹市第一編はこれにて終了します。

2016年3月25日 (金)

山梨/富士吉田 富士信仰と絶え間なき金鳥居

山梨県富士吉田市、富士急行/富士山駅からの歩き旅です。

(2012年3月当時)

●駅前道路

富士山駅から北に伸びている道路で、駅から50mも行けば、このような最初の信号に出くわします。

それにしても左側の空そのもののような建屋が大変インパクトがありました。その場で雲が浮かんでいるようで。

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●左折すると

上の写真から手前側の信号を左折すると、このような風景になります。

山梨信用金庫という金融機関があります。その向かいには理容ブラージュの看板がありますが、これは看板だけでこの建物自体はこんなにポスターが貼られているので、廃屋なのでしょう。

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●右折すると

こちらは反対側で、最初の写真の手前の交差点を右折した風景になります。

コンクリートのゴツゴツした建物が多い、そんな印象が強かったです。いずれも年季入ってそうな建物揃いで、存在感のある「濃い」建物ばかりのように思えました。

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●ガキ大将ラーメン

関東を中心にチェーン店を持つラーメン店のようですが、関西人である私には馴染みがなかったので、その名前に強烈なインパクトを受けました。

行きたかったのですが、結局別の店で食べる事となりました。

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●「金鳥居」交差点

富士山駅から200m程の地点になるでしょうか、駅から直進し最初の交差点を右折して歩き続けた所に、この「金鳥居」という交差点があります。

そしてそこには、下にしめ縄の付いた立派な鳥居があります。この「金鳥居」は富士山信仰のシンボルとされている、この街の象徴的なものと言ってよいかと思います。

この鳥居は大変歴史のあるもののようで、その歴史はというと…

1788年 金銅にて初の建立

1801年 大風雨で倒壊

1831年 唐金鋳造で再建

1877年 再び大暴風で倒壊

その後寄進により再建されるが

1944年 太平洋戦争のため供出

1955年 有志により銅鳥居の再建

現在に至る

という具合で、何度も倒壊したり、戦時中は供出されたりしながらも、現在までここに立ち続けているのですね。そう思うと地元有志寄進者の執念のようなものすら感じられます。

尚、ぶら下がってるしめ縄は1962年に初めてつけられたそうです。

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●金鳥居バス停

金鳥居の所にあるという事で、そのままの名前のバス停でした。

富士急山梨バスという会社の「ふじっ湖号」というバスで山中湖循環を含む右回りと左回りのコースで1日4本程度ずつ(右回りは4本あるものの、この富士山駅発はわずか2本です)の運行です。

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●魚屋路

「ととやみち」と読むそうで。全然知りませんでしたが、すかいらーくグループなんですね。

回転寿司屋さんです。前述のガキ大将ラーメンに行かずにここに行って昼食してたのでした。

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●金鳥居市民公園

またしても金鳥居ですが、その名のついた市民公園です。

昭和50年4月に完成した歴史ある公園です。

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●恩賜林ふれあい広場

こちらは「広場」と銘打たれたところです。

「富士吉田市外二ヶ村恩賜県有財産保護組合」という長い名前の組合が所有した土地にはじめて独立した事務所を構えたという「歴史的意義」のある場所とされ、1995年に広場として造られました。

向こうに見えるモニュメントは富士吉田市と近隣の忍野(おしの)村、山中湖村の1市2村が表されているといいます。

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●富士山焼酎

というなんともダイレクトな名前の看板に出くわしました。

「富士山の伏流水仕込み」というなんとも関心を惹くフレーズが!

富士山周辺のホテル限定のようですが、飲む人はやはり富士山の湧水を想像しながら飲むのでしょうか?(笑)

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●御師 旧外川家住宅

「おし きゅうとがわけしゅうたく」と読みます。褐色の屋根が大変インパクトがありました。

富士山信仰を支えた御師(おし)の家で、一時は80軒以上もあったといわれ、なかでもこの住宅の母屋は1768年に建てられ、現存する御師住宅の中でも最古のものであり、かなり貴重なものとされています。

平安時代以前の富士山は裾野から遥拝するもの、とされていましたが、以後は仏教の影響により、登拝するという祈りの形に変わっていったといいます。

100円ながら有料です。お金より時間がなかったので中に入りませんでしたが…。

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富士山の見えるような周辺の自治体は多数ありますが、個人的にはここほど「富士山信仰」という側面が強く感じられたところはありませんでした。登るものと思っていた山に、眺めるという信仰があった事も。

2016年3月 5日 (土)

山梨/甲州 15年ぶり塩山

山梨県甲州市、JR塩山駅からの歩き旅です。

(2015年9月当時)

●甘草屋敷

塩山駅北口(信玄像のある方)駅前広場の道路隔ててすぐ向かいにあります。

塩山といえばコレ、と一発で連想できるもの、といっても過言ではないと思います。

甘草(かんぞう)屋敷は、「旧高野家住宅」として国の重要文化財に指定されている、江戸時代後期の建築物です。

高野家は江戸時代に代々「長百姓」を務めた家柄で、幕府の命により薬草である「甘草」の栽培をしていた事から、この名になったといわれています。

観覧料は大人300円、子ども200円とありました。この時は、時刻的に少し遅くて入れませんでした。2000年、15年前に来た時はたしか、朝早過ぎて入れずで、なかなかそういう意味で縁がない所、かもしれません。でもこうして見てるだけで十分でした。

ちなみにここへの年間入場者数は約4万人という事です。

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●甘草屋敷 外から

閉まってしまっていたので、このように外から見ていました。これで十分

真ん中上部にある2段の突上げ屋根、これがなんとも印象的ですが、甲州民家とよばれるものの大きな特徴なのだそうです。

また、毎年2月11日~4月18日の間、えんざん桃源郷「ひな飾りと桃の花まつり」の中心会場となるという事で、ちょうどいま時期は絶賛開催中という訳ですね。江戸期の享保雛から大正・昭和の雛人形や、つるし飾りなど約1000体も展示されているという事です。中がそんな華やかな事になっているとは、この外観からはとても想像つかないですね。

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●東門

甘草屋敷の東門です。

住宅本屋は1953年に重要文化財の指定を受けましたが、この東門や巽蔵、文庫蔵などの建造物も1996年になって追加指定を受けたという事です。

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●塀回り

木製の塀が渋い味を出しています。

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●ハイキングコース

甘草屋敷を離れてすぐの辺り、

「一葉の里コース」「さくらんぼの里コース」という2コースの標識がありました。

一葉の里コースは、歴史を楽しむコースで、甘草屋敷を起点に桜のきれいな「慈雲寺」や塩山桃源郷の眺めが素晴らしいという「日向薬師」、武田信玄が腰掛けた大岩があるという「滝本院」など、約8.7km、2時間半ほどのコースが設定されています。

対して、さくらんぼの里コースは、約7.7km、約2時間のコースで、5月下旬~6月下旬にかけて、さくらんぼ狩りを楽しめるそうですが、そんな観光農園が分布しているエリアがコースに入っているようです。

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●房房のぶどう

フサフサをこんな漢字で表記する訳ではないのでしょうが、これだけ多くの、何房あるか分からないぶどうを見て、つい思いついた次第です。

流石はぶどうの里、というところであり、この辺りの塩山駅の隣には「勝沼ぶどう郷」なる駅があるくらいです。さくらんぼもぶどうも、フルーツには事欠かない街ですね。

塩山の何たるか、というのが、駅北をちょっと歩くだけで分かってしまう感がありました。

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2016年3月 3日 (木)

JR塩山駅【再】 (山梨県甲州市)

山梨県甲州市、JR塩山駅の再訪版です。

塩山には2000年2月、初の山梨県入りの旅で訪ねましたが、2015年、実に15年ぶりに再訪し、前回駅記事では駅舎1枚の写真しか載せていませんでしたが、今回は詳しくお届けしたいと思います。

●駅名標

「しおやま」ではなく、「えんざん」です。

15年前、ここに初めて来た時の自治体名は駅名と同じ「塩山市」でしたが、現在は「甲州市」となっています。

駅名標が華やかで癒されます。

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●ホーム

ホームは2面3線で、特急は「あずさ」の一部と「かいじ」が停車します。

屋根のあるエリアが長く続いていて、柱と骨組みの織りなす形がが印象的でした。

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●日本最古の日の丸

のあるまち、だそうです。ここ塩山は。

なんでも、裂石山雲峰寺(さけいしざんうんぽうじ)というお寺に日本最古の日の丸の旗があるそうです。1056年に源頼義が後冷泉天皇から下賜したものということですが、それをもとにデザインされたものとあり、塩山駅開業90周年を迎えた1993年につくられています。

言い伝えで真偽の程はよく分かりませんが、駅ホームの端っこにこんな碑があるだけでも随分と違うものです。

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●橋の上から

ホーム俯瞰の様子です。

やはり屋根のあるゾーンが実に長い事に気づきます。

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●樋口一葉 こころのふるさと

とありますが、今や五千円膣で有名な樋口一葉、彼女自身は東京の出身といいますが、彼女の両親がここの出身であるという事で、その両親から当地の話を聞かされた内容が小説の一部にもなっているといいます。

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●プチ信玄

駅を降り、北口へ出てきました。

甲府駅にはでっかい武田信玄像があって、駅名物であったり、街合わせに使われたり、大変象徴的な存在となっていますが、こちらはそれに比べるとすこしプチサイズな信玄公の像です。

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●塩山駅 駅舎 (北口)

前に駅記事で載せた時とおんなじ駅舎です。15年経っても変わっていませんでした。

ただしこの間にエレベータが設置されたり等はしています。

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●南口駅前広場

こちらは、転じて南口です。

その駅前広場、堂々としたモニュメントが建っていました。

駅前広場の整備度合いは、こちらの方が進んでいる感じで、バスのりばも区画が決まっていて、複数ののりばがありますが、賑わいは北口の方かな、と感じました。

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●南口 サイド

南口へ出て、駅前広場の左サイドに位置する場所はちょっとした商店群になっていて、ここだけピンポイントで栄えてる感が出ていました。

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●塩山駅 駅舎 (南口)

北口とは違う形での駅舎になっています。

こちらの方がニューデザインっぽいですよね!

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2015年10月18日 (日)

山梨/韮崎 ノーベル賞間近の街並み

山梨県韮崎市、JR韮崎駅からの歩き旅です。

(2015年9月当時)

韮崎といえば最近、ノーベル医学・生理学賞を受賞した大村智氏の地元として一躍スポットを浴びた街となりましたが、この時の訪問が今年のシルバーウィークの1日で、それから20日と経たないうちにノーベル賞に湧く街になるとはこの時よもや思いませんでした。

●駅前広場

韮崎駅を出て左横にこのような駅前広場、そして今は市民交流センターの建屋があります。

韮崎駅の駅記事にてupした写真は2008年9月当時のものでしたが、当時駅前以外ほとんど回れず、街の記事をupするに足りない状態であったので、先月7年ぶりに再訪したものが今回記事の写真となります。

で、この向こうの建屋は当時「ルネス」という商業施設のものでしたが、2009年に閉店となり、その後韮崎市が2011年に買収し、市立図書館などが入った市の施設として利用される事となったという訳です。左端の垂れ幕はSC時代の流用かと思われますが、内容は市会議員選挙の宣伝でした。

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●高架下

韮崎駅の下をくぐるゲートの様子です。

駅出口のある側よりも反対側の方が街のようなので、今回再訪時に初めて出てみました。

そんな訳で、ここをくぐる訳ですが、壁画が描かれさていて見入ってしまいました。やはりこういうのがあるのとないのとでは大違いですね。

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●朱の鳥居

韮崎駅の高架ホームからもインパクトのあるものとして見えるのですが、高架下をくぐって程ない地点にこのような「通開運」と書かれた鳥居があります。

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●商店街

鳥居をくぐったらそのまま商店街に入る、そんな感じでした。

とはいってもきちっとした商店街というより、商店が点在してできた通り、という感もありました。向こうには郵便局があります。

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●マンホール

韮崎市のマンホールです。

真ん中に市の鳥チョウゲンボウが配され、周りを市の花レンゲツツジ、いちばん外の縁の部分を武田家の家紋である「四つ割菱」で囲われています。

チョウゲンボウとは「長元坊」と表記し、ハヤブサ科の鳥だそうです。

「武田の里」と前面に打ち出されている訳ですが、甲斐武田氏の祖が最初に与えられた地がこの韮崎の「武田ノ庄」であり、以来この地は武田氏にとっての故郷という訳です。ここから世に名を轟かせた信玄の登場まで16代を要する事となります。そしてまた武田氏「終焉の地」でもあり、次代の勝頼が自害して果て、武田家の滅亡を迎えたのもこの地であるという訳です。

武田氏は韮崎に始まり韮崎に終わったというところでしょうか。

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●曹洞宗 蔵前院

向富山蔵前院という曹洞宗のお寺ですが、商店街を歩いていた延長上にありました。

17世紀初頭、関ヶ原の合戦後に甲州街道が開かれ、韮崎宿が設けられ、この地において民衆の教化が必要との事から寺が開かれて、 この寺が蔵の前にあったので蔵前院という名になったといわれています。今は当時の場所から移設されて当地にある状態です。

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●蔵前院の亀趺

亀趺と書いて「きふ」と読みます。

時々見られますが、このように亀が台座になって建てられている石碑ですね。

亀は中国で古来万年生きる霊獣とされており、この亀を台にする事により、上にある碑が後世にも末永く残る事を念じられてのものかと思います。

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●釈迦如来隻跡霊相図

亀の上に乗っている碑ですが、お釈迦様の足跡です。

真ん中の丸い柄?はときどき見かけますが、他の模様が何を意味しているのかサッパリ分かりませんでした。

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●本町交差点とコスモス

韮崎駅南西ほどない県道27号と17号の交点にあたるこの本町交差点、17号の方はこのあたりコスモスがとても印象的でした。

信号の横にある交差点名を示す標識が黒地というのも妙に新鮮でした。

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●裏道

に少し入ってみてのカットですが、商店街を感じさせる街灯がついていて、元々それなりに商店街を形成していた通りに住宅が増えた格好でしょうか。

それにしても個人の婦人服紳士服店やいわゆる洋品店ってなくなりましたね…昔みたいにこれは何屋さんで買う、というのがなくてなんでもひとつの店で買えるのは便利かもしれませんが、会話とかコミュニケーションを奪ってしまった、と思います。

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●雲岸寺

仏窟山雲岸寺というお寺です。

室町時代の1464年に弘法大師の法流という祖慶和尚が開基した真言宗の道場に端を発するといわれています。その後江戸初期に曹洞宗に改宗されています。

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●幹線道の商店群

上の写真の雲岸寺から再び幹線道に入り、韮崎駅付近の高架下へ向かうあたりの様子です。

電線が連なり、独特のゴツゴツした建物や看板の連なった昭和感満載の通りがそこには見られました。

冒頭に書いた通り、ここから20日と経たないうちに大村智氏のノーベル賞受賞が報じられ、この街は大いに湧いたと思いますが、今回写真に載せたうちのどこかが何かしら盛り上がったのかな?等々想いを馳せながら、この記事の締め括りにしたいと思います。

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2015年2月11日 (水)

山梨/北杜 小淵沢駅前通りをゆく

山梨県北杜市、JR小淵沢駅からの歩き旅です。

(2008年9月当時)

●駅から

駅前通りを眺めた様子です。

真ん前にあるタクシーの合間から撮った形ですが、

通りのスタート地点には「ようこそ北杜市こぶちざわ」というゲートが設けられていました。

最初この「小淵沢」を見た時は、「ぶちざわ」だと思っていました。初めてこの地名を見たのは、1988年の大河ドラマ「武田信玄」で、"協力"のところに「小淵沢町のみなさん」と書いてあった記憶があります。今でこそ北杜市に属していますが、当時は郡部だったんですね。

この写真の右側の建屋にも「信玄餅」の文字が見られます。

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●マンホール

小淵沢町に属していた当時のものです。

真ん中に町章と思われるマークと、町の花であったすずらんが周囲を埋め尽くしている、そんなイラストでした。

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●丸街灯の通り

駅前商店街的な通りで、独特の丸い街灯が立ち並んでいます。

商店ばかりという訳でもなく、人家もあったり空きもあったりで、かつての商店街が中身を変えながら現在に至る、というところでしょうか。カーブが随所にありながら続く通りでもあります。

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●なまこ壁

の家屋が目に入りました。

結果的にこの市で「北杜市を感じさせるもの」というのには出会えなかったので、ピンポイントで見たこういう目を惹くものに対して、街の思い出としてインプットされていきますね。

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●廃自販機

個人的に大きく惹かれるもののひとつである昭和の自販機に出くわしました。

たばこの自販機です。昔タバコ吸ってた時は、ほぼ100%自販機で買ってました。

今やタバコ屋さんも皆無で、コンビニで番号言って買う時代、ホントに色々変わりましたね、タバコを取り巻く環境については。

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●井筒屋

厳かな雰囲気の建屋で、何かと思っていたら鰻屋さんのようです。

老舗感満載ですが、創業は1996年とまだ20年も経っておらず、この写真の当時で12年という状態でした。元は和菓子屋さんだったようです。

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●小川電気

小淵沢でいちばん覚えている街の風景はこれかもしれません。

街の電気屋さんの横から姿ですが、3階建てのような、でも屋根が三角で低くなってきている(天井が斜めになってる2階建て?)独特の存在感を放つ建屋に大変惹きつけられました。

「カラーテレビ」という看板が残っている所も素敵です。

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●地元猫

小淵沢駅前の道路下にあるこんな場所の駐車場で見かけた猫です。

この街ならではのものではありませんが、これもまた記憶に残るものであります。

北杜市では、ここ以外にも長坂、日野春という各駅に行ってますが、どれも薄い感じの?!街歩きで、山梨県の各地はあまりまともに旅してないな、と感じる場所が多く、アクセスがなかなか難しい所ですが、再訪機会あればもう少し旅らしい側面を強調した記事がお送りできれば…と思う次第です。

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2014年5月12日 (月)

山梨/大月 大月駅まわり

山梨県大月市、JR大月駅の周辺の様子です。

(2012年3月当時)

Img_7194 ●駅前

この当時駅前広場一帯が絶賛工事中という状態で、そこらじゅう未舗装の状態でした。

ここに初めて来たのは2000年2月、駅記事で唯一駅舎の写真のみの記事をあげましたが、ここに足を踏み下ろした事で日本全47都道府県すべてに足を踏み下ろした記念すべき地です。

それ以来12年ぶりに再訪した時の様子なのですが、バスも凸凹道の上を走る有様でした。

Img_7198 ●ほぼ同じ

カットです、上の写真と。

看板に「月カフェへは…」とありますが、大月駅から徒歩20秒と書かれていた「美しいカフェレストラン」とありました。

初めて行った2000年冬にそれらしきこじゃれた店で晩御飯食べた覚えがありますが、そこだったのかどうなのか?今やもう思い出せません。

Img_7199 ●石塊

なんだったのでしょうか?その姿にインパクトを受けて思わず撮ってしまったもの…という感じでしたが…

真ん中には水が少々溜まっていました。

何かオブジェでもあって壊された跡なのか…

Img_7200 ●広場

駅前広場を遠目に見た様子です。

向こうが駅ですが、駅前広場は円の部分を中心に広がっています。2007年から駅前再整備が始まったそうで、2012年8月に竣工式が行われたという事で、この時はそのわずか5ヶ月前、工事も佳境というとこだったのでしょう。

Img_7205 ●バス停

富士急バスの大月駅バス停です。

駅もJRと富士急の駅が両方並び立つ状態で、富士急側はその名もズバリ、富士急ハイランド駅へも行きます。

という訳で、富士急の強いエリアのひとつです。

Img_7203 ●通り

殆ど駅前広場だけのカットに終わりつつあったところですが、通りのカットが僅かながらありました。

それくらいこの大月の街は周辺を歩いていませんでした。最初に来た2000年冬当時は夜中しかまともに歩かなかったし、行けども行けどもこれという所に出くわさずで載せられるものがない状態、、三度(みたび)来れる事があればちゃんと街の様子撮っておきたいな、、と思いつつ大月の風景記事、終わりにしたいと思います。

2014年2月17日 (月)

山梨/中央 東花輪に西花輪

山梨県中央市、JR東花輪駅からの歩き旅です。

(2013年2月当時)

Dsc07634●中央市マンホール

中央にはシラサギ、その周りに桜とレンゲソウ、外周にはまた桜、という配置になっています。

そしてまた外周には中央市の記載と2006.2.20の日付が銘打たれています。これは中央市が成立した日であり、3日後にはちょうど市制施行8年を迎えます。

Dsc07631●駅前道

駅からの通りです。駅から、というより、駅出て左から出ている感じの道路ですが、駅前の通りに相当する事は確かです。

タクシー会社等あるけど、他は何にもない…そんな印象でした。 この先何があるのか?あえて深く調べもしなかったので、未知(毎回未知状態で何かを発見するのも、楽しみの一つにしているので…)ですが、どこかへ歩いてみないと始まらないので、まずはこの道を向こうへと進んでみました。

Dsc07636●商店街の雰囲気

上の写真の道を徒歩1分くらい進むと、商店街独特の(ここにあるような)街灯が見られますが、住宅が多い街並みで、更に進んで行く事で、このような商店の多い街並みに出くわす事となります。

 

Dsc07638●田富花輪局

更に進んで、東花輪駅に対して「西花輪」という交差点(駅から約300m)にあるのがこの「田富花輪郵便局」です。

看板からして、旧田富町での中心局のような雰囲気か、と思っていましたが、「田富局」という別の曲があり、そちらの方が本局でした。

Dsc07641●田富学校前

のバス停です。

西花輪交差点を右折し、200m余り進むと、田富小・田富中に至り、これらを含めた形で田富「学校」というバス停名称にしたのでしょうか。

バスの名称として「山交タウンコーチ」とありました。山梨交通の関連会社で、甲府方面と鰺沢方面とに1日平日は8本、土日祝は5本という極少ダイヤです。

Dsc07644●博多ラーメン店

この建屋の左端の博多ラーメン店でお昼ご飯を頂きました。

山梨で博多ラーメンですが、とりあえず食べれる所探してたのでお構いなく入らせて頂きました。 そんなに沢山飲食店がありそうになかったので。

Dsc07647●中央市田富庁舎入口

というバス停です。

おなじく山交タウンコーチのバス停。

庁舎「前」ではなく、「入口」というところがミソで、庁舎へはやや距離があります、300m程ではありますが。

庁舎前はまた別にバス停はありますが、これはコミュニティバスです。

Dsc07662●田富局

田富花輪局とは少し離れた位置(結構近いですが…)にある、これが田富の本局です。

庁舎入口バス停から庁舎方面の道を進みました。そこは田んぼだらけのとても市庁舎付近の風景とは思えないものでしたが、そんな中にこの局はポツンとあります。

Dsc07659●塔

田富局のそば、まさに田んぼだらけの所に1本高い塔?があり、向こうは雪景色の山々です。富士が近い事を思わせてくれます。

Dsc07664●中央市立田富図書館

中央市のこれまた中央、いや中心的な存在と思われますが、図書館です。

丸い建屋がとっても特徴的でかわいらしいものでした。

Dsc07670●時計塔

中央市役所の庁舎の見えるところに入り、公園内の一角にこのような時計塔がありました。

4ヶ所から円弧を描いて上へ伸び、ベルの沢山ついた円形で結ばれて、その上に時計があるという、なかなか凝ったデザインのものでした。

Dsc07683●中央市役所

中央市田富庁舎とあったそれですが、市役所です。

旧・田富町役場で、2階建ての低層ながら、カクッとした力強い雰囲気の?!建屋でした。

しかし、東花輪駅からこの市役所までの道のりを記事にしながら、地元ならではという感じなのはマンホールだけだったかも?!あと冬山が垣間見えるのも少々、といった感じですが、これら含めすべて中央市という街の風景です。正直この後も特別すごい所へは行ってませんが、富士が近くに見える圏域で山々を見ながら歩く、そんなところにこの街での旅の楽しみ方があるのかもしれません。

 

 

2013年10月21日 (月)

山梨/山梨 山梨市駅前のぶどう棚

山梨県山梨市、JR山梨駅前の様子を。

(2008年9月当時)

駅前広場

大抵なら「歩き旅」として写真upしていくんですが、大して歩いてもないし、街並み関連の写真がまともに撮れていないので、控え目な出だしにしました。

で、駅前広場の様子です。

詳細地図、広域地図、各所への標識が並んで立っていました。今から5年ほど前の風景ですが、どれほど変わっていて、そして変わっていないのか…。

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壮大モニュメント

駅前広場の中心にはこんなに大きな素晴らしいモニュメントが建っていました。

色んな所で人が手を上げていました。

駅前の象徴的な存在といえますが、山梨市は人口3.6万ほどの小さな町ですが、この駅前広場の充実ぶりはそれ以上の都市のような雰囲気を感じさせます。

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駅前通り

駅からの通りが向こうに伸びている格好で、手前には駅前郵便局があり、通り自体は両サイドに植樹のなされた並木道となっています。

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山梨市マンホール

「やまなし」とありますが、市としてのものです。

山梨県は甲府市が県庁所在地で、県名と市名が=でありながら、県庁所在地ではない市は栃木市と沖縄市と山梨市ぐらいでしょうか。栃木市や沖縄市が人口10万を越す市であるのに対して、山梨市が3万人台という違いがありますが。

マンホールの中身ですが、外周は市の花つつじ、中央は市の木であるマツと、市の鳥チドリで構成されています。チドリは昔の古今和歌集で市内の「差出の磯」と共に詠われているという歴史的背景をもった、市の鳥としての指定がなされているものです。

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ぶどう棚

最後は駅前に戻ってのカットですが、ホントに駅の真ん前にこんな「ぶどう棚」がありました。

「甲州」という種類のようで、中国から種の形で渡来して800年以上の歴史をもつという由緒ある山梨特産の品種だそうです。

9月下旬ごろに成熟する、とあり、この訪問時が9月上旬だったので、そろそろ…という頃だったんですね。でも本物かどうかを分かりませんでした。というか、本物である場合、そこら中から人が取りに来そうなんですが…。

生食は勿論ですが、白ワインの原料にも用いられているそうです。

山梨市駅前で最も印象的なものはやはり、このぶどう棚でした。

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2013年8月 4日 (日)

山梨/都留 都留市駅前のいろんな商店街

山梨県都留(つる)市、富士急行/都留市駅からの歩き旅です。

(2012年3月当時)

駅前通り

駅からまっすぐ伸びている通りです。

これもまたまた昭和色が強く、コンクリ色丸出しの建屋が軒を連ねていました。

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つる

「つる一丁目」なる住所表示が出ていました

都留市つる一丁目、ですね。"つる"がひらがな表記なので思わず撮りました。

場所的には上の写真でいうと、タカラの看板の出ていた真下にあたります。

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駅前通り商店街

と表示のついた商店街を歩き進みました。

丸い街灯が上下に2つツートンでつけられており、これが並んだ商店街です。

都留牛乳という店も見られますが、移転したようで現役とは思えない雰囲気でした。

大正7,8年の創業だとかで、2002年には瓶での製造はなくなりパックだけとなり、現在は製造をしておらず販売のみと聞きます。

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三町商店街

三町と書いて「さんちょう」と読む商店街の案内図です。

狐の絵がありますが、実際に稲荷通りという通りもあります。

都留市の商店街の中でもこの三町商店街振興会に属する店が最も多いようです。

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三町 中央一丁目

三町商店街の中、中央一丁目7と住所表示のある地点です。

やはり狐の絵がかけられてあります。

下には、ここでは一商入魂とありますが、場所によって色々あるようで、「言行一致」と書いてある所もあります。

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栄町銀座通り

桔梗信玄餅の看板がかかった店が手前にありました。ここは栄町銀座通りという表示がかかっていて、街灯も変わっていました。というか三町商店街の所では街灯が見られなかった気がしますが…

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稲荷通り

ここが先述の稲荷通りです。

この辺りは住所でいうと、中央二丁目となっています。

狐が飛び跳ねてる姿が街灯の部分に見られます。奈良交通のバスに鹿が飛び跳ねる姿がマークとして入っていますが、なんかそれにそっくりでした。

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お稲荷さん

本記事最後はこのお稲荷さんの写真です。

豊川稲荷大明神と書かれていました。真っ赤っかのお稲荷さんです。

場所は上の写真とほとんど同じ位置です。

それにしても色んな商店街・通りが交錯しているこの都留市駅前です。

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