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42長崎県

2017年11月 6日 (月)

JR長崎駅 (長崎県長崎市)

長崎県長崎市のJR長崎(ながさき)です

長崎市は、長崎県の 部に位置し、人口は421,612人(2017.10.1現在)で、長崎県の県庁所在地で、鎖国下にあった江戸時代に唯一の貿易港を持ち独特の文化を築いたと共に、広島と共に原爆投下された歴史を持つ街でもあります。

-JR長崎駅-
【路線】
JR長崎本線(鳥栖-長崎間)
【開業】1905年4月5日
【訪問】初訪問-2002年11月
【1日あたり平均乗車人員】 10,650人/日 (2016年) 
【近隣の主要駅 (鳥栖方面)諫早駅→7駅  

●駅名標

ここへ初めて訪ねたのが2002年の事でありますが、この記事では2014年再訪時の様子をお届けします。

長崎本線の終着駅であり、九州の西へそれた最果ての駅であり、隣駅は片方だけとなっています。九州西部にありながら、九州新幹線のルートから唯一外れている長崎県の中心駅で、県庁所在地の中心駅でこのような最果ての構造というのも珍しいかと思います。

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●ホームと電車

ホーム沿いの青い電車は「SEA SIDE LINER」というものでした。1989年3月のダイヤ改正で名付けられた快速列車です。さすが九州の車両というところで、色が独特で特急でもいけるかなという感じのものでも快速であったりもします。

現在は上り下りで各15本前後運行されています。

ちなみにこの電車はラッピングされていて、地元長崎のサッカーチーム「Vファーレン長崎」のものがのっていました。このチームは「ジャパネットたかた」がスポンサーのひとつで、ホームページには社長の写真も載っていました。

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●電車

ホーム沿いではない側線にも複数電車が停まっていてて、実に沢山の種類の電車を見る事ができました。

下側の写真の白いものは特急「かもめ」で、この時はこれに乗ってやってきました。新幹線が通っていないので、特急が最上級の優等列車なのですこの辺りでは。博多との往復は1日26往復とかなり多めです。

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●車止め

冒頭にも書きましたが、県庁所在地の中心駅で行き止まりは珍しい構造で、高松駅などはここと同じように車止めがある行き止まり構造ではありますが、方向を変えて反対方向へ進んでいく形です。宇高連絡船の連絡のため港へ近づける必要がある為に、形として出っ張っているだけで両方向へ電車が走りますが、ここ長崎駅の場合は完全な終着駅、いわゆる盲腸線の構造です。

そしてその行き止まり部分に「長崎駅」の表示があるのが不思議な感じです、なぜこんな所に表記があるのか。

ホーム自体は3面5線ある広めの駅です。長崎本線しか路線を持たない割には広いホームを持っています。属していないものの、大村線の列車も乗り入れています。

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●御朱印船

長崎港まつりの出し物として地元企業の三菱重工長崎工場が制作したものだそうですが、ベトナムとの友好の証とされ、「長崎くんち」の奉納踊りの山車として使われたのだとか。ちゃっかり三菱マーク入っています!

で、この2014年当時はこの長崎駅にあったのですが、この2017年10月にベトナムに寄贈されたというニュースがありました。3年行ってないだけでも様子が刻々と変わっていくのですね。

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●長崎駅 構内屋根

改札を出ると前面は全開の不思議な構造です。

高松駅も行き止まり構造で、ホーム→改札すべて1Fで前面に出口→駅前広場ですが、前面がこんな吹きっさらしではなく、室内感があるのですが、ここはホントに半室内とでもいうか、室内感は希薄な感じでした。

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●長崎駅前

左が駅舎で、右が歩道橋ですが、間にロータリーのような広場がありますが、普通の道路上というか、広場スペース自体は駅内で完結している感じで、ここは完全に駅の真ん前が道路になってる感じでした。とにかく構造が色々と異色でした。左端がタクシーのりばです。

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●歩道橋の上

上の写真で右端にヘリの部分が写っていましたが、その歩道橋の上の部分です。

歩道橋というよりペデストリアンデッキ構造になっていて、通路であり広場ですね。駅と直接繋がっている訳ではなく、駅を出て階段を上がった形でここへ行き着く構造であり、決して駅の2F部分から出ている通路と直接繋がっているとかはないです。

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●長崎駅 駅舎

曲線を描いた大きな屋根こそあるものの、厳然とした建物の無い、吹きっさらしの妙な構造の駅舎です。建物がガシッとあって、そこに「長崎駅」と銘打たれているのではなく、サイドの建物の上に「長崎駅」と複数面に記してある形です。

また長崎には「長崎電気軌道」なる路面電車も走っていて、その様子は撮れませんでしたが、2度訪ねた中で2度とも路面電車には乗りました。路面電車駅を本ブログで紹介した事がなかったので、その辺りも今後やっていきたいとも思っています。

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2015年5月 3日 (日)

長崎/島原 絶景!島原城

長崎県島原市、島原鉄道/島原駅からの歩き旅です。

(2010年8月当時)

●駅前通り

駅出てまっすぐ伸びている道路です。

市の中心駅前というよりもお城めがけてまっしぐらの道、という感じで、景観維持なのかどうか、和風建築的な建屋が立ち並んでいました。

そしてなんといっても、向こうに見える島原城!とても、分かりやすい観光地です。

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●森岳(もりたけ)商店街

駅前の通りを歩いているところですが、現在地はこの地図のほぼと真ん中で、右端のピンクの部分が島原駅で、左端が島原城なので、その間の地点という事になります。

HPも出しているほどの商店街です⇒http://www.moritake-s.jp/shoutengai.html

個性的なお店が多数出ており、全国チェーンの店で何でも買えてしまう世の中だけど、専門性の高いお店が多いので、たまには車を降りてのんびり回ってみませんか?という事を訴えています。

商店街での取り組みとして雛祭り時期に合わせて行われる「ひなめぐり」があり、各店舗に様々な雛人形を飾り、観光客に見て頂こうというものだそうです。

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●ハスの密集

駅前の通りを歩いていると、あっという間に島原城の入口まできてしまい、お堀の中はこのようにハスの葉っぱで敷き詰められていました。

ハスの名所として名高いようで、また夏の訪問につき良い時期に見る事が出来ました。秋には先述の森岳商店街がレンコン掘り大会なるものを行っているそうです。

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●高石垣とハス

島原城は、その高く積み上げられた石垣も美しく、その足下にはこのようにハスの葉が大量に、まさに敷き詰められている感じでした。「とくとご覧あれ」といったところです夏だからこういう景色になっていますが、これが冬だと真っ茶色になるようです。ホントに良い時期に来たなと思います。8月の訪問はおススメです!

石垣が単調ではなく、所々でギザギザになっているところも魅力深いものがあります。見た目として非常に見事な光景となっていますが、この目的はあくまで実用的なものであり、死角をなくすためのものなのですね。

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●高石垣とお濠

次は水の部分が見えているお濠と石垣とのカットです。

これもまた高い石垣なればこそ、こんなに映えるのでしょうか。写真以上に生で見ると、素晴らしい光景です。

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●入口

上の写真でも見えていましたが、長い坂を上って、この入口に差し掛かります。

坂のサイドに生い茂っている緑が高い石垣と角度をなして、景色の素晴らしさをまた一段と引き立たせているように思えます。

入口両サイドがまるで自動扉で横にスライドして開閉しそうな雰囲気で、要塞チックな印象を少なからず受けました。言ってみればお城なんて要塞そのものなんですが

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●武将の幟

島原城の場内に入り、見上げてみれば、このような多数の武将名の入った幟が並べたてられていました。同じような名前が沢山並んでいて、同じ人物の幟が複数出ているのか?と思へば、さにあらず。下の名前の部分が違っています。

ここに挙がっている人物を調べてみると、歴代の島原藩主の名が並んでいるようで、右から順に代々並んでいるようです。色んな家系の名がありますが、当初の松倉氏はあの有名な「島原の乱」で責任を問われ、その後の家系も失政などで交代を余儀なくされ、最も安定していたのは「松平家」のようです。途中で戸田家を挟む形で宇都宮に移封となっていましたが、再び戻ってきています。

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●御城の鐘

お寺でいう鐘楼にあたるものですが、石積みの土台に白い柱と天井で覆われた建屋に鐘が吊下げられています。上の建屋と下の石垣がアンマッチな感じがしなくもなかったですが…

塀よりも高くて眺めが良さそうでした。

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●天守入口

この時が特別だったのか分かりませんが、武将と武家の娘と忍者と思われるコスチュームの方々が居られて、お城の雰囲気を更に高めていました。

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●古代墳墓

場内で古代の墳墓を見るケースは稀とは思いますが、箱式石棺というものでしょうか。西暦600年頃のものと推定される、とありました。

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●西櫓

櫓ながら立派な建物です。

「〇〇城跡」として、このような櫓だけ残っているような所もあり、それだけでも素晴らしいな、と思えたりしますが、ここの場合は色々ある建屋のひとつ、というのがまた豪華この上ない、と感じます。

島原城は一度廃城となり破却されていますが、天守閣よりも先に復元されたのがこの櫓でした。

中は名城画展と銘打たれ、全国のこけしや民芸品が展示されています。目を疑いましたが、お一人「10円」とありました。ホントに「気持ち」程度という事ですね。

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●島原城 天守

素晴らしい島原城の天守ですが、この城は元々は1626年築という事で、その後程なくして起こった島原の乱でも炎上を免れるなどして明治まで迎えたものの、1876年に一度破却されてしまいます。

その後100年近く経った1964年に鉄筋コンクリート造りの形で復元され現在に至ります。そう聞くと、古き良き時代のものは何も残っていない、そんなイメージを持ってしまいますが、古い資料に基づき、当時のように忠実に再現されているといいます。それに何よりこの綺麗なフォルムが素晴らしい天守です。上層から下層にかけて等間隔で幅広になっていくこの姿は個人的に最も好きな天守のひとつです。

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●天守いろいろ

別な角度から撮った天守の様子です。

現存天守ではない為、それほど有名でもないかもしれませんが、こんな素晴らしいお城はなかなかない、そう思います。

島原鉄道というJRのない所になりますが、島原へ来たならぜひ見ていきたい、そんな所と言ってもいいと思います。JRでのアプローチは諫早駅から。ここから島原鉄道を利用して島原駅へと向かう事となります。

以上、島原市の旅記録でした。

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2014年7月28日 (月)

長崎/西海 九州本土最後の市!

長崎県西海市、長崎県の西彼杵半島の北部にに位置し 人口は29,344人(2014.7.1現在)で、旧・西彼杵郡の西海町など5町が2005年に合併してできた新しい市です。

国指定の天然記念物である七ツ釜鍾乳洞を有し、また地形上多くの海岸や大きな橋を有する景観溢れる町でもあります。

●佐世保港フェリーターミナル

これはまだ西海市の風景ではありませんが、西海市には鉄道がないので、アプローチは船を利用しました。

神戸空港からの行程ですが… (カッコ内は時刻)

神戸空港(9:10)

  ↓  スカイマーク便 \14,300

長崎空港(10:20)

  ↓  バス(長崎空港線) \1,400

JR佐世保駅前バスターミナル(12:01)

神戸空港を9:10に発っていますが、8:30には空港に着いておいた方が良いと思い、逆算すると8:00過ぎくらいにはJR三ノ宮駅からポートライナーに乗っておくべきというところで、そうすると三ノ宮から佐世保までは約4時間程度となります。

飛行機はスカイマーク利用だったので安上がりで済みました。JRで新幹線乗って特急乗継するよりも安上がりかと思います。

当日、神戸空港からの飛行機は若干遅れましたが、バスが長崎空港で待っててくれたので助かりました。その分ここに着くのも遅れた訳ですが、そんなこんなありつつ、この佐世保港フェリーターミナルに着きました。佐世保駅から徒歩5分程度で行けます。

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●ここへ

という事で、佐世保港から西海市の大島港へ行く事としました。西海市自体が未訪で、この市を訪問する事がまず大前提で、そこからこの市のどこを訪ねるか?という事となり、旧何町を訪ねるか?となったのですが、大島が最も目についたし、交通の便も比較的良いと感じたので、ここを選択しました。

他の町の交通アクセスが相当苦しそうで、以前も一度他の町で計画した事があったものの、早く起きれず日帰りで行けないとの判断で断念したことがありました。

地図的にはこんな感じで、矢印の先が大島です。この大島は1999年までは離島でしたが、大島大橋が架けられ、陸続きとなりました。ただその時はまだ有料道で、2011年になってようやく無料となったそうです。

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●乗船券

佐世保港の窓口で大島行きの高速乗船券を買いました。

窓口は通常閉まっていて、出航30分前など時間を限定して、窓口が開くようになっていました。日付はここにあるように今から2週間前の7/12で、こないだ行ってきたばかりです。

大島までは\1,100、所要時間は約25分です。往復購入したかったところですが、片道しか買えないと言われ、帰る時はまた大島で買うというシステムのようです。この券は乗船時に係員の方に丸ごと手渡して、切符なしの状態で船に乗り、着いたらそのまま降りる事となります。

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●港

この佐世保港から出港です。時に13:30。1時間に1本程度出ている感じで、時間帯により少し間が開く部分もあります。

この時は、雨が降ったり止んだりで微妙な天気でしたが、着く頃には雨が一滴も降らず、何よりでした。

船は高速船「れぴーど」というもので、中にTVはありました。25分で着いてしまうので、それほど特別なもの(食堂とか豪華な客席とか…)が必要なく、TV見てなんやかやしてるうちに着いてしまいます。

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●航行中

佐世保ー大島の約25分の航行中の1コマです。

左端に見えているのは、大島造船所で、大島を象徴する建造物といっても過言ではなく、まさに大島が見えてきた!という状態です。

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●大島上陸!

ついに「西海市」へ入った瞬間です。これをもって、長崎県の市を全制覇し、同時に九州本土の市も全制覇となりました。九州での未訪は残るは2つの離島のみ西之表市(種子島)、宮古島市(宮古島)のみとなりました。

大島のフェリー発着場の様子ですが、この1本だけ見ると佐世保港とそんなに変わりません。佐世保はこれが複数あるといった感じでした。

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●大島造船

大島を象徴する企業であり、建造物であります。

なかなかの迫力。

島に入る時もそうですが、意外と島内を歩いていても目印になって便利な存在でもありました。

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●肥前大島港ターミナル

大島港ターミナルの建屋です。

といっても、すべてが港用のものではなく、郵便局や理容店などの入った、いわば合築のものです。

実質この建屋の1/3程度が港関連の施設で、待合室や券売り場、軽食店等があります。

この右が船着き場になります。

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●室内チラリ

待合室の椅子しか見えませんが、こんな感じです(笑

外観はレンガの柱と曲線の入った窓で、なかなかオシャレです。田舎の島の船着き場、という感じではないですね。

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●第二桟橋 バス停

港のターミナル真ん前のバス停です。

「さいかい交通」というバスが走っています。

「第二桟橋」とあるんですが、第一桟橋がどこにあるんだか調べてもよく分かりませんでした。

標識の向こうに見えるのは郵便局です。着いたのが土曜の昼を回ってたんで既に開いてませんでした。

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●バスダイヤ

PM2時ごろに着いたのですが、船の発着に合わせたのか、各方面のバスが割に頻繁に行き来していました。

昼間に空きがあったりしますが、1時間に1本くらいのペースの方面も少なくなく、意外と本数が多い印象でした。どこへ行くバスなのか路線や見どころが分かればうまく使えたのかもしれませんが、その辺りの情報が近辺にない(観光案内図とか出ていない)のが少々残念なところでした。生活バス的な側面が強いのかもしれませんが。

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●ターミナル前

最後にこの写真を。

ターミナルの建屋全体と船着き場を隔てて、大島造船という並びです。

建屋前の道路はこんな感じで、右に覗いている部分が駐車場でした。タクシーは居ても1台という感じで、来たら次々乗るという感じでもなく、それほど賑わっていた感じではありませんでした。

とりあえず3時間弱の時間があったので、ひたすら歩きました。大島大橋の素晴らしさは眺める価値ありと思います。片道2kmほどあるので、1時間強の時間は欲しいところです。

そんな、大島ターミナル周辺でした。

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2014年5月 6日 (火)

JR佐世保駅 (長崎県佐世保市)

長崎県佐世保市のJR佐世保(させぼ)です。

佐世保市は、長崎県の中東部に位置し、人口は254,546人(2014.4.1現在)で、長崎県では県都・長崎市に次ぐ第2位の人口を誇る街でもあります。旧海軍の軍港が置かれた港町で、また日本最大級のテーマパークであるハウステンボスを有し、最近では佐世保バーガーが有名です。

-JR・松浦鉄道/佐世保駅
【路線】JR佐世保線(肥前山口-佐世保間)
    松浦鉄道・北九州線(有田-佐世保間)

【開業】1898年1月20
【訪問】初訪問-2010年8
【1日あたり平均乗車人員】 JR-3,635人/日 (2010年)
                 松浦-691人/日 (2006年)
【近隣の主要駅(肥前山口方面)早岐駅→3駅、有田駅→5駅
          (諫早方面)ハウステンボス駅→4駅
          (有田方面
※松浦鉄道)佐々駅→17駅

Himg0179 ●駅名標

JR佐世保線の終着駅で、また当駅は属していないものの「大村線」の電車も乗り入れてきており、いずれの路線もここから3駅先の早岐(はいき)駅までは共通で、ここから分岐していきます。

大村線は分岐する早岐駅から諫早方面までが所属駅となります。

いずれにしても終着駅につき、片側しか隣駅表示はありません。ただし松浦鉄道が通っており、ここから松浦やたびら平戸口など県内他市へのアクセスが可能です。1988年にJR松浦腺から転換されて松浦鉄道となり現在に至ります。

Himg0176 ●ホームと電車

右が2番線、左が3番線となりますが、JRでは3面6線もの広大なホームをもつキー駅で、駅利用者数は長崎市、諫早市に次いでの第3位になります。

左側の緑色のはまさにというべきか、特急「みどり」の車両です。

この両ホームは天井部分がアーチ状の骨組みで結ばれています。

Himg0177 ●1番線

上の写真の右側にあたる1番線です。

向こうは車止めがあり、ホームの形も切欠きというか、ここで線路が止まっています。まぁ終着駅ではありますので。

県内第二位の人口で、また人口25万越えの市の中心駅でありながら、このような終着というのは非常に珍しいと思います。

Himg0180 ●ホーム俯瞰

高架駅である当駅はこのように街の様子を見下ろせます。

都市の中心地らしい駅前風景ですが、佐世保は九州でも10番目の人口を誇るという事で、県都以外の街でいえば、3本の指に入る事になるでしょうか?県都でも佐賀市よりは人口が多い状態になっています。

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●日本最西端

佐世保駅はJRでは日本最西端の駅でもあります。

実際は松浦鉄道の「たびら平戸口駅(平戸市)」が最西端の駅ですが、1988年JRから転換されたため、JRでは当駅が最西端となりました。

というわけでこんなモニュメントがつくられています。

東経129度43分との事です。

ちなみに最南端は同じ九州の鹿児島県・枕崎駅、あと最北端は北海道稚内市の稚内駅、最東端は北海道根室市の東根室駅、となります。

Himg0182 ●ようこそ

という事で歓迎の横断幕、駅出入口の上部にかかっていたものです。

「佐世保バーガー」がすっかり有名になりましたが、佐世保はハンバーガー伝来の地、とされています。

1950年頃、アメリカ海軍の関係者からレシピを教わり、それが佐世保でのハンバーガーの起源とされています。

Himg0183 ●佐世保バーガー

の大きなオブジェが駅構内に。

佐世保バーガーはこれと決まったものはないそうですが、佐世保市内で販売する、注文に応じて、手づくりをするハンバーガーを総称して呼ぶとの事でした。「注文に応じて」がミソで、作り置きをしない、という事です。

駅では佐世保バーガーMAPを配っているとの情報もありました。

Himg0184 ●佐世保独楽

これまた駅構内にあった佐世保の名産である独楽(コマ)です。

喧嘩ゴマとも言われ、やはり競い合うものだそうですが、だいぶ変わった形をしてますね。今では正月の縁起物としての性格が強いそうですが…。

市の代表的な祭りである「佐世保くんち」では、人の体より大きいくらいの喧嘩ゴマがつくられ、巻いて回して倒すという事が行われたそうです。

Himg0192 ●佐世保駅1

出入口周辺を正面から。

なかなか撮りづらい駅舎でいろんな距離や角度から撮りました。このカットでは規模はよく分からないでしょうが、とりあえず高さとしては2F分相当という事は分かるかなと思います。

Himg0211 ●佐世保駅2

別の所ですが、出入口部分を斜めから撮ったものです。

正面からじゃ厚みが分からなかったりするので、こういう撮り方をする場合もあります。柱が太くて骨組みのしっかりしたものとなっていました。

上半分のみ半円というか曲線で、西洋美術の一端を窺えるような形をしています。

上の屋根の部分は船の帆を思わせるものとなっていて、海洋都市としての性格を強調したものかと思います。

Himg0218 ●佐世保駅駅舎

かなり近づかないと全体像が撮りづらいという厄介な駅まわり(障害物が多い)となっていて、こんな形でしか撮れないのかな…とか思いながら撮っていました。

それでも横に広いという事はまずお分かり頂けるかなとは思います。あと、建屋のてっぺんが波打ちの連続で港町の側面が強調されているな、というのも。

Himg0212 ●佐世保駅前

駅前に停まるタクシー群との駅舎カットです。

こんな感じで駅舎を遮るものが多々あり、ここでも駅の大きさがイマイチ分かりかねるようなカットになってしまっています。

これだけタクシー停まってるんで都会ぶりは窺えるかなとは思います。九州の県庁所在地以外の市の中心駅としては、かなりの大規模で賑わいを見せていました。駅のすぐ近くが海というのも、この駅の趣深いところでもあります。          

2014年2月 2日 (日)

長崎/五島 福江・空と海の港

長崎県五島市、長崎県西部、五島列島の南西部に位置し、人口は38,557人(2014.1.1現在)で、2004年に旧・福江市と南松浦郡5町の計1市5町がで合併してできた新しい市です。

長崎港より100kmあまり西にある離島で、教会が数多くある事でも有名です。

教会群の島

福江空港構内のポスターやパネル展示の類の集まった一角ですが、五島は教会が数多く、この教会群等につき、世界遺産の登録を目指しているのが分かります。

なんか見るものないかな?と思って眺めていたら教会ばかりが目に飛び込んできてました。

ちなみにこの時のここへのアクセスは、博多駅前のホテル泊でそこから…

①博多駅→福岡空港駅
   地下鉄でわずか5分!

 

②福岡空港8:55→五島福江空港9:35(JAL)
   飛行機で約40分

この時、若干飛行機が遅れましたが、なんとか着きました。

福岡空港は、博多駅という日本有数の都市中心駅から地下鉄でわずか5分というアクセス至便さが素晴らしいですね。なかなかそんな空港はないと思うので。

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福江空港 正面

そんな訳で着いた福江空港の建屋です。

この時の天気はいまひとつで、傘が要ったり要らなかったりの繰り返しでした。

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福江空港 側面

こちらは空港前の様子が分かるアングルで。

結構山に囲まれてる感じでした。

この周辺は正直何もなく、ここでは埒が開かないので、移動が必要なのですが、バス便もあまり充実しているとは言えず、空港発のバスは時刻表をチェックしておいた方が良いと思います。少し高くてもいいならタクシー利用でも問題ないですが、市の中心部付近の福江港までは車で10分程度です。

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福江 バス停

福江港が目の前の「福江」バス停に着きました。

空港から約10分。この辺りに来ておけば、市内のメインの場所をある程度歩いて回れるので実質的な五島市の旅の始まりはここから、というところでした。

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バス時刻表

上が島内各所へのバス時刻表で、多い所は1時間1本に近いぐらいまでありますが、全島レベルで考えると充実しているとは感じられませんでした。あくまでここを通るものだけだと思うので、これが全てではないでしょうが。

下側の写真は空港行きバスの時刻表ですが、実質1日7本しかない状態で、空港行きの重要な足だけに、時刻表は要チェックです。すぐ傍にタクシーも停まっているので、タクシーでもOKですが、少々割高になるというところです。

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フェリー

港に停まるフェリーと、フェリーターミナルから続いている通路の様子です。

ここ福江からは近隣の島々への便と、博多港や長崎港行きのフェリーが出ています。

この写ってるのは博多港行きでしょうか、かなり大きな船でした。

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港沿いの道

先ほどのフェリーが右端に写り込んでいますが、港に沿った道路です。

左側の高架は、上の写真でも写っていたフェリーターミナルからの通路です。

青い空にこの高架が映えていて、いい感じに写りました。 と、自画自賛?!

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福江港フェリーターミナル

こここそが港の待合施設にして、色々な売店で土産物も売っているフェリーターミナルで、なかなかの賑わいを見せていました。

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五島市では…

ということで、ここは福江港フェリーターミナル内の一角です。

長崎がんばらんば国体、というのが今年開催され、その中で五島市の競技の紹介がされていたり、五島市のイメージキャラクターが並んで紹介されたりしていました。

バラモンは昔から当地に伝わる伝統工芸で鬼が凧を咥えこんだ形の凧?!で、今では魔除けの縁起物として使われているという事で、こういった異文化に触れるのも旅行ならではの醍醐味ですね。

あと、「つばきねこ」とありますが、五島はつばきの産地として、つばき茶なども製造されていて、つばき茶さんのTwitterアカウントもあります→https://twitter.com/510tsubakicha

この五島へ行った時に色々呟いてたらフォローされました(笑

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港と街

本記事最後は、港に停まる船と街の様子の一端です。

五島でメインとなるエリアの観光となるとこの辺りをブラブラしておけば、というところです。あとはピンポイントで見たい所を決めて、行けばよい訳で。

城跡の立派な建物などもあって観光のし甲斐はあると思います。

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2013年9月 9日 (月)

長崎/平戸 新・平戸市域/田平港へ

長崎県平戸市、松浦鉄道/たびら平戸口駅 からの歩き旅です。

駅からの道

たびら平戸口駅からは駅前広場右側から仕出し店などの前をゆるやかな坂を下りながら抜けて、すぐ突き当りは行き止まりです。これと交差する通りがいわゆる駅前通りを形成する構造となっていて、下側の写真は坂を下りて行った所から、逆に駅を振り返った形のカットです。

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駅前通り

という訳で、坂を下りて交差点に差し掛かり、そこを左折した通りです。

これをずーっといけば、平戸大橋、そして旧・平戸市域に入っていくのですが、この辺りは今でこそ平戸市域ながら、数年前の合併までは、旧・田平町の町域であり、郡部だったのです。

で、下側の写真に見える郵便局は「田平(たびら)郵便局」で、旧町の中心的役割をになったと思われ、ATMは土曜が17:00、日曜が12:30まで稼働しているようです。

また、ここの駅名も「たびら平戸口」で、旧・田平町内にあり、鉄道の無い、でも有名な地・平戸へのアプローチとして「口」がついたものと想像されます。

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交差点

城山公園や田平公園などと標識が分かれ道になって出ていますが、まっすぐ行きました。

とにかく平戸へ渡りたかったので。でも中途半端に距離があり、バスで行くか歩いていくか迷いました。バスが何本もあれば迷わず歩いていくのですが、そうでなければ待てずに歩いていくとか、、そういう旅が自分の中では結構多いんです。

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中瀬草原入口

というバス停前の公園です。

何か飾り立てられていて妙に気になり、入って行きました。

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パイプ迷路

するとその公園の中には、こんなパイプ迷路がありました!

ちゃんと「入場無料」と前置きして(笑

人はいないし、勿論金を払う口もありません。

面白そうなので、恥ずかしげもなくやってみました!

そんなに難しくもなく、小さな子どもに遊ばせるには十分かな、という感じでした。

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進む

公園で少し遊んでからは、また平戸方面へと進んで行きました。

この道を歩き続けて。

のどかな雰囲気ですが、歩道が狭いのが若干辛かったですね、こういう幹線道で。

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田平港入口

今回記事のメインはここ、田平港です。

平戸へ渡る前の、新・平戸市域(旧・田平町域)の重要な一地点です。

というわけで、交差点を右にそれて田平の港へ。

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平戸瀬戸市場

の入口にあたる部分です。海産物の豊富な市場として左側の建屋に色々と置いております。

駅前からの幹線道を歩き続けた後右折して、その直後というべき地点です。

右側のバスが停まっているのが田平港ターミナルビルで、平戸口桟橋というバス停として機能しています。

向こうに見える年季の入ったビルは、旧・平戸口運輸フェリーの待合室ビルで、ここと平戸港をフェリーで結んでいたそうです。1984年3月まで運行されていたそうですが、廃止になって30年近く経つ訳ですね。下側写真がそのupです。2Fは雀荘だったようです。

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市場&レストラン

田平港の主要拠点として観光客で賑わう感の強かった所です。

実際2Fレストランで昼食しましたが、昼飯時もあってか大賑わいでした。平戸という有名地にほん近い事もあるのでしょうか。

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田平港の眺め

上の写真のちょうど裏側にあたる所からの田平港の眺めです。

向こうには平戸大橋が見えます。

これを渡ってさらにしばらく歩けば、平戸城に行き着く事ができます。

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テラス

2F部分、レストランを出るとこんなテラスがあり、ここから港を眺めるのもよしです。

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表側

最後の写真は再び市場の表側に戻り、出入口周辺の様子を。

色々飾り立てられていました。

レンガ状の門が一段と素晴らしく建屋を引き立てています。

レストランでお昼して充電してからここを出て、平戸の方へ向かう事となったのです。

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2013年8月 6日 (火)

長崎/対馬① 積年の憧れ訪問、まずは対馬空港

長崎県対馬市での歩き旅です。

(2013年6月現在)

対馬市は長崎県の対馬全体を市域とし、人口は32,464人(2013年6月1日現在=ここを訪ねたまさにその日です!)で、2004年3月に厳原町等の下県郡と上県郡の計6町が合併して対馬市となり、九州では最も人口密度の少ない市(45.8人/k㎡)であり、これは山がちな地形によるものと思われます。

九州本土からは132kmの距離があり、一方、韓国(朝鮮半島)との距離はわずか50kmという限りなく異国に近い町です。

対馬やまねこ空港

ここへは福岡空港からやって来ました。博多泊で福岡空港駅まで地下鉄でやって来たのですが、福岡空港で「対馬行の便について(視界不良で)見合わせの可能性があり、現地の状態を確認する」とのアナウンスがあり、欠航の心配もありました。待ってたら、その後は特に何のアナウンスもなく、普通に運行されるようで拍子抜けしましたが…

そんなこんなで、福岡空港から約35分で着きます。なので眠くても寝る間もなく、早朝に無理に起きて来ましたが疲れが取れないのが少々残念なとこでした。

ジェットフォイル等海上での移動も可ですが、手早く飛行機にしました。往復で\25,200払ったと思います。

写真ですが、実はこれは発つ時のカットで、着いた時はゆっくりできないままバスに乗り込んだんで、着時の空港での写真がないのです。

"やまねこ"というのは愛称的なものと思われ、あくまでも建屋に表示されているのは「対馬空港」です。

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貝殻オブジェ

対馬空港と前の道を隔てて立つ、この貝のオブジェ。

この貝殻は、市内の旧・美津島町の特産・ヒオウギ貝とありました。

美津島のヒオウギ貝を観光客に多く知ってもらうアピール用につくったと書かれていました。

また、韓国に限りなく近いというロケーション的なものもあって、ハングル表記が普通に添書きされています。

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歓迎看板

空港前の通りを抜けようという地点、ここも日韓並列でした。

両国の境に位置するという地理的側面からでしょうか。

来た時は日本というより韓国じゃないかと思ったぐらいでしたが…

何せ、2000年ごろからずっと来たいと思っていたこの対馬、同時期に佐渡にも行きたいと思い始めましたが、佐渡の方は2010年に訪問、壱岐も同年に訪問するも、その時もうひと足伸びませんでした。それから約3年、今年6月、ようやくやって来た、憧れの対馬だったのでした!

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石屋根

これも空港のはずれにあった草原エリア?にひっそりと立っていました。

一応、石屋根の家や馬のオブジェや郷土の偉人たちの胸像など色々なものがある割には、かなりひっそりとした一帯でした。

石屋根は、対馬で産出される板状の石を屋根にした高床式の建物で、主に倉庫として使用されるといいますが、日本ではこの地方だけの独特なものだとか。街なかでよく確認できなかったので、空港前のここにこの見本的なものに出くわせてよかったなと思いました。

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久保勘一先生像

上と同じエリアにあった胸像のひとつです。

久保勘一(1910-93)は、五島列島出身で、長崎県知事や参議院議員などを務めた政治家です。知事在任中は主に長崎空港の開港に尽力し、1975年に空港開港へとこぎつけています。

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酒井豊翁像

こちらの酒井豊氏は、1974年に発足した対馬総町村組合の消防本部(現在の対馬市消防本部)で初代消防長を務めた人物とされています。1963年から75年までは島内の美津島町長を務めあげています。こちらの方がより対馬と関わり深い人物ですね。

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会いに来てね!

と訴えかけるようなまなざしで見つめているのは、ツシマヤマネコです。

一般に本土で見るネコとは目つきがちょっと違う印象でした。まんまるじゃなくて、上の部分が水平な感じで。

対馬にしか生息しないネコですが、その野生の姿を見る事は至難の業だといいます。で、この「対馬野生生物保護センター」では、飼育されているツシマヤマネコの個体を見る事ができるそうです。

ただアクセスが少々厳しく…、対馬空港からでは66km、海上の玄関口の厳原港だと100kmにもなり、最も近い比田勝港からでも25kmもあり、また対馬はバス路線が発達しているとはいい難い状況で、レンタカーかタクシーぐらいしか実質選択肢が無いようで、、その辺が少々残念なところです。

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空港外看板

本記事は対馬市の中でも、空港に限定となりますが、最後はこの写真。

しいたけなんかも「対馬しいたけ」として名産品です。

ヤマネコは実に多種多様に描かれていて、これを見るのも対馬の楽しみのひとつといってもよいかと思います。

対馬の旅は、ここ対馬空港から、厳原港から、と空海でそれぞれスタート地は違いますが、それぞれの旅を楽しめるというものでしょう。

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2013年6月23日 (日)

長崎/松浦 松浦駅~松浦市役所

長崎県松浦市、長崎県で最も人口の少ない市で、松浦鉄道/松浦駅からの歩き旅です。

(2012年7月当時)

西肥バス 松浦ターミナル

松浦駅の記事に出ていた南口の駅前からまっすぐ歩いて100mほどの地点、駅からは最初の信号となる(この写真の突き当りが駅です)この角にある西肥バスのターミナルです。

西肥バスは佐世保市に本社を置き、肥前国の西側である長崎県の北部と佐賀県の北西部を主なエリアとして運行されているバス路線です。ここ松浦は営業所等ではなく、単にターミナルとしてバスが発着しているようです。にしても、すごく渋い建屋でした。

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銀杏ヶ浦の五輪塔

立っている札の左側のものです。

その多くの部分が室町期につくられたといわれています。宗家松浦3代清公の子が1270年代にこの地を治めていた為、彼を祀るために造られたとの説があります。

五輪塔もそうですが、その前の丸いものが謎で、またそのバックにあるレンガ建屋など、ハッと目を惹くものがこのひとつの視界に多数見られました。

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商店街

上の写真の角を右に曲がった所の通りです。

昔ながらの商店街の雰囲気で、こじんまりした商店が並んでいました。

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総親和の碑

昭和60年に建てられた碑のようですが、昭和30年に松浦市としてスタートし、市制30周年を記念してのものだそうです。

市民総親和の重要性を再確認する、その象徴的存在であり、月と鳥は市民の希望と福祉を象徴し、家は平和な家庭生活の象徴、その他地場産業や工業を象徴するものを表し、市の更なる発展を希望し、見届けていくもの、というところでしょうか。説明板が少々草で隠れかかっていましたが…

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時計塔

上の写真の碑があった所の公園の端、道沿いの部分にある時計塔です。

向こうには、「西九州自動車道の早期実現を」と呼びかけた広告塔が建っていました。

西九州自動車道自体は既に1988年より開通していて、福岡県福岡市から佐賀県武雄市までの約150kmを結んではいますが、松浦の部分は計画中の段階で、予定では2018年開通予定とありました。

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松浦市役所前 バス停

冒頭の写真にあった西肥バスの停留所です。

あの分が「松浦駅前」バス停扱いであり、その隣がこの停留所という訳です。

駅方面が1時間に1本程度のダイヤとなっていましたが、月~金曜のものでした。

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松浦市役所

思ったより立派な素晴らしい建屋でした。思ったより、というのは人口が2万台前半という所からの勝手な思い込みによるものです。

青い空に白くて角ばった建屋がよく映えていました。

それぞれ反対側から撮ったものです。

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松浦市章

松浦市の頭文字であるアルファベット大文字の「M」をモチーフに「産業創造」の未来へ躍進する都市の姿をダイナミックに図案化し、ハートの形で「個性」きらめく「交流(ふれあい)」と「ぬくもり」のあるまちづくりを表現しています。また、赤は太陽を、緑と青で豊かな自然を表しています。

…とあります。

ここでは色がついてないんで分かりにくいですが、上の小さな〇が本物の市章では赤く塗られており、曲線の左半分(内に入り込んでる方)が緑、右半分の外へ伸びている方が青となっています。

この頃TVで人気のBerryz工房「ももち」のももち結びみたいな形ですね(笑

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がんばらんば

長崎がんばらんば国体2014の大きな看板が出ていました。

来年10月に行なわれるそうですが、その中でここ松浦市では、なぎなた競技が開催されるとあります。

それにしても、この時は空が青々としていて何を撮っても映えてよかったな、とつくづく思いました。

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2013年2月19日 (火)

長崎/雲仙 小浜湯けむりながれ旅

長崎県雲仙市、長崎県の南東部、島原半島の西側に位置し人口は45,883人(2012.12.1現在)で、2005年に旧・南高来郡の7町もの合併によりできた新しい市です。前回記事の南島原市と隣接していますが、ここも翌年に旧・南高来郡の8町が合併してできたもので、雲仙市の合併前は南高来郡には実に16もの町が自治体として存在していた訳です。

雲仙岳の存在が有名で、雲仙温泉や小浜温泉など温泉にも恵まれています。今回の旅記事は旧・小浜(おばま)町を訪ねたものです。(2013年1月)

小浜ターミナル着

手前にあるやや低い建屋が「島鉄バス小浜ターミナル」です。

前回記事の南島原市・口之津港ターミナルからバスに乗ってやって来ました。口之津からは約45分、820円です!この時実況ツイートしてたんですが、電波が全然ダメでできなかった、そんな思い出もあります。

雲仙市内には鉄道駅(島原鉄道)がいくつもあり、個人的にも2010年8月に一度通過はした事があったのですが、時間やダイヤの都合もあり結局スルーしました。

当時寄るなら吾妻駅などに寄ってみたかったのですが、その時は諫早から雲仙を通過して島原まで行ってそのまま帰ってくる事となり、そんな意味で2年半ぶりのリベンジで雲仙市入りしましたが、寄った場所は吾妻の方とは全然逆方向で、鉄道駅の全くないここ小浜となりました。これは単に口之津からのアクセスが容易で便数がそこそこあったから、なのでした。

向こうには温泉がらみのホテルが立ち並び、失礼な言い方ですが雲仙市でこんなに都会的な風景が見られると思いませんでした。雲仙市では雲仙温泉とここ小浜温泉が市内2巨頭というところでしょうか。雲仙地獄には中学の修学旅行で行ったのも忘れてました、なので雲仙市の初訪問は1985年4月、実に28年ぶり訪問、人生で最も長いブランクだったかもです。(当時は雲仙市ではありませんでしたが…)

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田中荘あたり

小浜バスターミナルの真横にある温泉旅館・田中荘の辺りですが、なんといってもこの石造りの年季入りまくりの建造物が…。

ここ小浜地区で最も印象に残る風景は個人的にはこれです。最初は(大好きな)廃墟かと思いました(すみません!)

「たまご・湯どうし等ご自由に利用ください」とありました。実際、ここの料理は温泉で湧かしてつくられたものが多いとか。

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小浜総合支所

雲仙市役所の小浜支所です。旧・小浜町役場でした。

雲仙市役所てとして市の中心にあるのは旧・吾妻町で、そういう意味で前回吾妻に寄りたかったのですが、雲仙市として寄る事になったのがここでホントに良かったと思いました。こんな素晴らしい町の風景に出会えるとは…!

この支所の場所ですが、バスターミナルに本近く、道隔てて斜めぐらいの位置にあります。

高木が立ち並び南国ムードいっぱいです。って長崎県ですが…

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シーサイド

バスターミナルから見て道路挟んで向かいは海沿いの歩道で、ここまでその手の記述ありませんでしたが、ここ自体完全なシーサイドロードで、そんな所が温泉街になっているのです。

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▼小浜温泉 春陽館

右側のこの和風の堂々たる威厳を放つ建屋が「春陽館」です。

玄関口の曲線を描いた「唐破風」の屋根が重厚で雰囲気あります。

1938年完成の建屋で今年で75年になります。ちなみに1938年といえば先日亡くなられた俳優の本郷功次郎さんの生まれた年でもあります。それだけの歴史をこの建物は刻んでいるんですね。

そういえば本郷さんの代表作「特捜最前線」で演じた橘警部(本郷さんの当たり役)はここ長崎県出身という設定でした。場所は五島だったと思いますが…、、今更ながら本郷さんのご冥福をお祈り致します。

で、この左に建っている対照的にコンクリートの建屋は新館だそうで、同じ旅館でこれだけ対照的な建屋が並ぶというのも驚きです。この新館もまた横にこのような横階段がついていて、見た目にもインパクトあるし時代も感じます。

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海岸に

海から見える突堤に「 雲仙市消防出初式」の表示がありました。

まさにこの先にかすかに見えたきた所、イベントスペースらしきところでその出初式が行われている真っ最中で実に多くの消防車が停まっていました。

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▼シーサイド"火の用心"

出初式の関係だとは思いますが、海沿いの道にこんなに「火の用心」の幟が並んでいたのって生まれて初めて見た気がします。

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湧き立つもの

温泉なのか、水辺からごうごうと湯気の上がる場所が続きます。

冬なればこそ尚の事愛しいというもの、この湯気を浴びながら歩き続けていました。

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弘法さま

ここもまた海沿いに立つ弘法大師の像です。

弘法さまが諸国巡礼で当地を訪ねた際に、付近の常民が飲料水がなく困っていたところ、六角の錫杖で大地を突くと、そこからこんこんと水が湧きだしたという言い伝えがあるそうです。

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雲仙市消防出初式

たまたま出くわした出初式ですが、このようにステージまで設けられて結構な規模のものでした。で、このすぐ傍が大規模足湯なのでギャラリーには事欠かなかったという訳です。

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ほっとふっと105

出初式会場であるグラウンドの脇に沿うように、日本一の足湯とされる「ほっとふっと105」があります。

「105」とあるのは105℃の源泉の事で、さらには105mの長さの足湯がつくられた、とあります。実際この撮ってる辺りから角を曲がり、写真の階段の上のあたりずっと足湯が続いてるのです。

人がビッシリでなかなか入れませんでしたが、、なんとか入れ代わり立ち代わりしてる隙を縫って足湯に浸かる事が出来ました。寒かったんでより一層ポカポカしました~。

すぐ左が海というすごいロケーションです。向こうは山だし、眺めは何ともいえず最高です。

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蒸釜

ほっとふっと105足湯のそばにある蒸釜です。

食材を持ち込んで蒸したりできるそうで、時間があればやりたかったところでしたが、足湯で満足してしまいました…

3枚中真ん中の写真の段々状になってるお湯は入れません。めっちゃ入りたくさせる雰囲気を持っていますが…

ここが、雲仙市旧・小浜町のハイライト的なエリアかなと思います。そうそう、この近くで長崎ちゃんめんの店に行ってきました。長崎県で長崎ちゃんめん行ったの初めてで、ご当地感に浸りまくっていました。

この時、今年の正月1/4~5の旅でしたが、天草、南島原、雲仙の各市を1/4に、翌1/5に嬉野市へ行ってきました。ホントにどこもいい所で来て良かったと思えて、ここ雲仙市も嬉しすぎる誤算という感じで、小浜へ行く事も全く考えてなかった行き当たりばったりの割に大ヒットでした。感謝そのものです。

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2013年2月17日 (日)

長崎/南島原 口之津港へようこそ!

長崎県南島原市、長崎県の南東部、島原半島に位置し人口は48,726人(2012.12.1現在)で、2006年に旧・南高来郡の8町もの合併によりできた新しい市です。1637年日本の一揆としでは最大級といわれる「島原の乱」の主戦場・原城のあった所で、キリシタン関連の旧跡の多数ある地です。

ここへは熊本県天草市からフェリーでやって来て、完全なる熊本/天草③ 鬼池港からの出航の続きものです。(2013年1月)

島原へ向かう

天草市鬼池港を出たばかりのところ。

フェリーの2F部分をフロントから眺めたものです。

このように鮮やかなブルーのベンチが並んでいますが、ここを訪ねたのは1月年初の連休中(1/4)ということもあり、殆どの方は室内の座席でくつろいでおられました。

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前方の眺め

出航後しばらくはこんな風景が広がっていました。

街が本格的に見えてくるまでは割に単調かもしれません。

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街が見えたきた!

島原半島内の街の様子がはっきり見えてきました。

最初と到着付近のみ外に居たので、その間は外の様子を見てませんが…

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振り返って

口之津港付近はクワガタの上あごのようにΩ←のような形をしていて、その内側に入り込んだ後、左後ろを振り返った様子です。

間際に架かる赤い橋が印象的でした。こんな陸の間際でえらく大規模な橋が架かってるな、と。何かあるとも思えないんですが…

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接岸!

まもなく島原口之津港へ。

鬼池港から30分。割にあっという間です。

鬼池港同様に、赤いゲートがお出迎えです。

当初の行程では、天草→島原という選択肢はあったものの、あまり行く確率は高くない(現地入りするまで決めかねていました…)かなと考えてました。熊本へ戻って別の所でも行くか…、と思っていましたが、天草-島原の便数が意外に多く、所要時間が意外に短かったので決行しました。

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口之津港 到着

正式に南島原市、口之津港に上陸しました。

これはその入港後最初のカットです。

まだフェリーから続々と車が出ていってるところですね。

フェリーの名は「フェリーあまくさ」といい、1982年就航で定員は350名となっています。

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南蛮船来航の町

港に入って、ターミナル付近の道路周辺の様子です。

このような高い塔が立っていますが、これは旧・口之津町としてのもので、この下には「口之津町」の表記があります。

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口之津港 フェリーターミナル

南島原市口之津地区の交通の中心的な存在です。

南島原市には2008年まではこのフェリーと同じ島原鉄道の鉄道駅があったのですが、路線短縮による廃駅に追い込まれ、現在市内には鉄道駅はなくなってしまいました。それもあって、ここへは天草から航路で上陸してきました。

下の2枚中上の写真は港側、下の写真は反対に道路側のものです。

道路側は表にバス待合のベンチがありますが、向かいがバス車庫になっており、このターミナルはフェリー待合室であると共にバスの待合室も兼ねています。

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おみやげ

この旅から帰ってきて撮ったものですが、このターミナルには売店も入っていて、そこで買ってきたのがこの「半生うどん」です。

手延べでとってもコシが強く、また長いです。

そうめん作りの盛んな島原ですが、うどんもまた独特なものがあります。

薄くて長い巻き状であるため、何かのケーブルかなと思うような、そんな形をしています。

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ターミナルから

道挟んで向かいのバス車庫の様子です。

中に入ると、このようにズラリとバスが並んでいました。

ターミナルとバス車庫の間は普通に幹線道が通るのみです。

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南蛮人像

先ほどのバス車庫の入口にあたる部分に置かれている南蛮人像です。

右横にある自販機がこの高さなので、この像の高さが大体わかると思いますが、結構巨大です。

1567年にこの口之津の地に南蛮船が初来航し、これが当時の南蛮人のイメージなのだそうすが、随分と派手な格好ですね。

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マンホール

旧・口之津町のマンホールです。

そのものずばり、南蛮船が枠内いっぱいに描かれています。

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付近地図

右下の白い部分は、紙が破けたようになっていて白いのですが海です。

で、陸地は前述のようにクワガタの上あごのような形で、湾の中へ入り込んでいく形で入港してきました。現在地はその一番奥にあたる部分です。

こんな形なので、着岸前でも後ろを振り返ると、島原の町が見えるというわけです。

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港付近だけでこれだけ書いてしまいましたが、港から少し離れた所も歩いてきました。ハイライトはだいたいここらへんに集約されるのですが、とにかく南蛮の町という事だけはすぐに分かるこの島原半島の南端・口之津地区です。