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06山形県

2018年1月 4日 (木)

山形/天童 将棋駒と温泉を愉しむ街

山形県天童市、JR天童駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●駅前道

駅記事を2011年にあげておきながら、そこからの旅記事を2018年の今頃になってからあげるか?という感じですが、もう7年以上も前の風景になってしまいました。

それで今も変わっていないのか?確認したところ、右側の旅館は完全になくなってしまっているようで、Googleマップで見ると跡形もなく、別のものが建っていました。

この「都旅館」ですが、現役時は和室8室、シングル2室、ツイン1室があったといいます。2食付き5,800円との情報があり、駅前すぐ傍にあってリーズナブルだったのですね。

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●天童バスターミナル

駅記事の最後の写真にあったユニークな建物の一部分ですが、これがバスターミナルのものでした。

ここからは山交バスや天童市市営バスなどの便が出ています。山形市の山交ビルまで約40分で結んでおり、山形駅へもほぼ同等の所要時間となります。

ずいぶん古いビルのように見えますが、完成したのは1992年と平成になってからなのですね、逆に驚きました。昭和の建物だと思っていたので。傍には山交の旅行会社である山交観光の店が入っていました。

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●床面

駅前の一角での床面には天童を象徴するものが描かれていました。

ホオジロは天童市の市の鳥で、非常に多くの自治体の鳥として挙げられています。スズメのように見えて、スズメ目までは同じですが、スズメよりは少し大きい鳥です。日本の一部地域では絶滅危惧種に指定されたりもしています。

そして「天童花笠踊り」の絵もありました。天童の夏のイベントとして、毎年8/8・9固定で開催されている「天童夏まつり」で披露されている踊りです。昨年で第27回であったという事は始まったのは1991年でしょうか?意外に新しいのですね、これも平成が始まったばかりの頃で。

花笠まつり自体は山形市で行われているものが、東北五大まつりのひとつに称されるほどのもので、8月中に県内各市で花笠踊りの入った祭りが催されています。

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●道路標識

直進すれば「天童温泉」なる文字がありました。今だったら飛びかかってたかもですが、当時はあまり興味湧いていなかった事と、1ヵ所を訪ねる時間が短く限られていた(自分でそうしていたのですが…)為にお湯につかる事はありませんでした。非常に近くにあり、バス停ベースでも天童駅から2分です。

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●天童マンホール

流石将棋の駒の街らしく、「王将」と書かれた駒がいくつも描かれていました。

天童の将棋駒生産は全国シェアの実に9割に達するものの、最近は伝統産業の後継問題などでピーク時の1/3程になっているとありましたが、ふるさと納税などにより再度規模が大きくなり、後継者も脱サラなどで志す人が増えてきているのだとか。

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●寒河江街道バス停

天童市でも寒河江の文字がありました。

天童駅東から程無く右へそれて南下し、駅からだと徒歩約7分の所にあります。県道22号(山形天童線)上です。

山形駅前までのバス路線で、ほぼ30分に1本の間隔で出ていて、なかなか本数としては多いのではと思います。

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●三日町五日町公民館

三日町と五日町の合名になった?公民館で、一瞬我が目を疑いました。

2015年1月に開館30周年記念祝賀会が開かれたという事で、1985年に開館したようです。公立の公民館ではないようで、自治会などでつくられたもののようです。

隣には五日町郵便局がありますが、ここの住所は「天童市三日町…」だそうでおもしろいですね。地名的には北から三日町、五日町、一日町と続いています。

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●仏向寺

1287年に一向上人が召還されて開山されたという歴史あるお寺で、当初は別の場所にあったものが1375年に現在地へ移転されたといいます。宗派としては時宗であったものが1942年に浄土宗へと編入されています。

関所を思わせる門が荘厳な雰囲気で、中の拝殿がまた立派でした。通路真ん中の参道とみどりがくっきり分かれていて、拝殿のカットを撮った時に締まった感じを受けました。

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●建勲神社

「たけいさお」と読みますが、お次はこの人名のような神社です。

ここはなんと、織田信長を祀っている神社で、明治政府より信長に建勲神(たけしいさおのかみ)の神号を賜った事でこの名がついたといわれています。京都市北区にもやはり信長を祀った同名の神社があります。

江戸後期から明治初期にかけて、藩祖を祀ってネーミングしたこのような神社がある種流行として多数あったのだそうです。当初の名前は「建織田社(たけしおりたのやしろ)」という露骨に?信長を祀った名前だったのを後に改称しています。

何故、この地で信長が?なのですが、ここは天童織田氏というのが藩主となっており、明治初期も織田信敏(1853-1901)という人物が藩知事を務めており、その当時に健織田社の名を賜ったといいます。

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●天童織田氏系譜

これも建勲神社内のものですが、信長の父である信秀の代より始まっています。

個人的知識でいえば、現在でもスケート選手であった織田信成さんが居られますが、信長の子孫というと、息子の信忠が信長と同じ時に戦死し、その弟信雄(のぶかつ)が江戸幕府に収まり1630年頃まで生きた、くらいのもので、その先の事は知らない状態でした。

これを見て系譜が脈々と受け継がれている事が分かりました、歴史は土地を訪ねた方が勉強になりますね。

天童織田藩と記されていますが、天童藩は幕末といえるくらいの1830年に高畠藩から移って起こった小藩で常に財政難に悩まされていたといいます。この表で、上下断の最上部に地名がありますが、最初は「小幡」とあり、それから「高畠」「天童」となっており、それぞれ藩主を務めていた藩を示しています。

最初は小幡藩を治めていた訳ですが、今の群馬県甘楽(かんら)郡甘楽町にありました。小幡藩では1617年に織田信良(のぶよし。1584-1626)という人物が立藩したとされています。彼は織田信長の息子・信勝の子、つまり信長の孫という事で厚遇されたようです。

その後高畠藩を経て、天童藩の初代藩主は織田信美(=のぶかず。1793-1836)という人物が務め、この表の下の段の右から3人目にあたります。以後織田氏5代の藩主が務めて1871年の廃藩置県を迎えています。

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●碑

安東広重碑と、はなかみ先生顕彰碑についての説明板です。

広重といえば「東海道五十三次」があまりに有名ですが、天童藩では財政難の窮地をしのぐために広重の肉筆画を大量に描いてもらい、その難を脱しようとしたという経緯があり、東北と無縁に感じる広重の存在がこの天童でクローズアップされ、天童には広重美術館もあるといいます。

また今ではすっかり「歌川」広重としての記載が主になっていますが、ここでは安藤となっており、少し古いものかもしれません、我々の子ども時代に習ったのは「安藤」広重でした。

広重は5代まで存在するそうで、東海道-の広重は初代ですが、当人の本名が安藤重右衛門で、「歌川」姓は師匠の歌川豊広から与えられたといいます。

「はなかみ先生」の方ですが、高橋英雄(えいお)という人物で、天童出身者で文明の進化に触れたいとの思いからアメリカへの船へこっそり乗り込み20年余り文化を吸収してから天童へ戻り、その文化の遅れ具合にかなり憂い、村中を紙切れを渡して回り「鼻をかむ」という事を教えて回ったそうです。

鼻をかむ、という習慣がいつから普及したのか?考えさせられました。江戸の庶民は手鼻であったようです、平安時代からその言葉自体はあったようですが。人前で鼻をかむというのは外国では国により非常に失礼な行動にあたるので要注意ですね。

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●小路喜太郎稲荷神社

安土桃山時代、天正年間に最上・天童の戦いという覇権をかけた戦があり、天童氏家臣の狐崎喜太郎という人物が幻術により最上氏を大いに悩ませ、また天童氏の敗走も助けたとあり、ここに祀られているといいます。ちなみにこの時は、後に藩を治める事になる織田氏の事などカケラもありませんでした。時にして1584年、信長が無念の死を遂げた2年後の事ですが。

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●街へ

山深い?エリアを出て街へと再び。

市民会館やその他主要施設への道案内が出ていました。

街の中ではいたる所に将棋の駒が出てきます。

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●天童市役所

白を基調とした角のついた印象的な建屋です。

建物の向かって右側が柱で支えられている感が強くて、天空ではないですが、その辺の建物とはちょっと違った感があってインパクトがあって良かったです。

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●橋と将棋駒

出くわす橋で赤い手すりと、それぞれの将棋駒がありました。

王将や金将や銀将などありました。

桂馬や飛車や龍などもあるようです。橋の名前が将棋駒の形の中に入っているものも。

こういうのを見つけて歩くのも楽しい天童の街です。

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●Y字路

見た目が面白いので出くわすと取ってしまうのですが、この天童にもありました。

最も手前の建物の形がすごいですね、薄型って感じで。区画が決まっていて、それに合わせて建てられたのでしょうか?

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●路面詰将棋

歩道の道路面に詰将棋がありました。

見ただけでも2か所ありましたが、全部で何パターンあるのでしょうか?

公園内にも、電柱にもとあらゆるところに詰将棋があるといいます、これらは歩いていて気づきませんでしたが。

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●温泉宿

天童温泉のエリアとして、天童駅から徒歩10分圏域のこれらのホテルは代表的な温泉宿といえるかと思います。天童ホテルとホテル王将、いずれも大浴場がありますが、1人10,000円内のプランもありますし、贅沢なプランもあります。

天童では泊まった事はありませんが、泊まるならこんな所に行って温泉に浸かって贅沢に過ごしたいものです、なかなか予定はありませんが。

天童には将棋の駒の印象しかありませんでしたが、天童温泉というしっかりしたものもあるので、今度行きたいと思っている方で温泉の存在を知らない方が居られたら、是非ともそこにも着目して楽しんで頂きたいと思います。

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2015年8月 1日 (土)

山形/東根 さくらんぼ東根からノーマルな東根へ

山形県東根市、JRさくらんぼ東根駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●ホテル イーストプラザ東根

この旅で宿泊したホテルです。

さくらんぼ東根駅からまっすぐ歩いて程近くにあり、非常に便利でした。

HPはコチラ

新幹線が停まる駅の前といえど、小都市でもあり、駅近のビジネスホテルなどなかなか希少なものです。

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●東根市役所

この時は、さくらんぼ東根駅に夜に降り立って、そのまま駅前のホテルで宿泊、翌朝そこから隣の「東根駅」(元々ある在来線駅の方)へ向かって歩く、という事をやっていましたが、そこで早速に出くわしたこの東根市役所、「さくらんぼ」東根駅の方に近い位置にあります。

人口4万人台の小都市でも市役所は立派な建屋を有しており、ショッピングセンターのようないでたちでした。地方都市の駅ビルなんてこんな感じだよな、と思って見ていました。

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●東根市役所前バス停

山交バスと「さくらんぼ号」という2つのバスのりば標識が立っていた市役所前バス停です。

山交バスは元々山形交通という名称で、山形市を中心に各地に路線網をはりめぐらせていますが、ここ東根市役所前バス停では1時間に1本程度の便があり、山形駅付近の山交ビルと村山駅などを結んでいます。

「さくらんぼ号」は、東根市のコミュニティバスで、山交バスの廃止路線を引き継ぐなどの形で運行されていて、市内に4路線あり、土日祝は運休となっています。

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●庁舎周辺図

庁舎の前は市民の広場という広々としたスペースがあります。

「さくらんぼ東根温泉」や日本一の大ケヤキがあり、またさくらんぼも「日本一」とされていて、さすが「さくらんぼ」の街です。大きな滝も魅力的です。

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●はるやま(跡)

さくらんぼ東根駅から東根駅へ本格的に歩き出したわけですが、道中このようなものが!

貼っていたシールが剥がされるように、「はるやま」の跡がくっきりと。

以前出店していて撤退したのでしょうか。

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●さくらんぼガードレール

さすがさくらんぼの街「東根」。こんなところまで徹底してました。

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●果樹

移動の最中で果樹園に沢山出くわしましたが、さくらんぼたけでなく色々なものがつくられている訳ですね。

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●柳町橋と彼方の山々

さくらんぼ東根と東根とのほぼ真ん中にあたるこの辺りは、白水川という川が流れており、橋の右を向いて程ない辺りで、日塔川という川と分岐していきます。

向こうに見える山影の数々がとても神秘的でした、微妙なこの霞み具合が。

そして、この辺りの「柳町」バス停は「さくらんぼ号」(コミュニティバス)の停留所ですが、さくらんぼ東根行きが朝に3便のみで、反対側はわずか1便のみという希少なものでした。

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●歓迎標識

普通に道路を歩いていたら突然に「歓迎 東根商店街」との標識に出くわしました。

まさか、ここが商店街ではないよな…と思いながら歩みを進めていきましたが、だいぶ東根駅方面に近づいていけば、商店街然とした街並みに出くわします。

日本一の大ケヤキとか東根温泉とか、市内の名所に繋がる道でもある訳ですね。

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●東根市消防団第一分団第一部

という消防分団のシャッターには纏を持ったさくらんぼのキャラクターがカラフルに描かれていました。

このキャラクターは「タントくん」というそうです。「タント」とは田舎の方言とイタリア語で「たくさん」という意味で、ここでは纏を持っていますが、普段は?!リンゴのついたステッキを持っていて、果樹が豊富な東根をその体でもってアピールしている訳です。

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●商店街

独特の街灯の立ち並ぶ、明らかな商店街に差し掛かりました。

街灯もやはり「さくらんぼ」なのでしょう、徹底してます…。

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●城下町へ

東根は城下町の側面も有しており、このあたりは本丸跡の南端に位置していますが、このような模擬の石垣塀で周囲を覆われていて、いかにも城下町の側面を強調しています。

南北朝時代の1347年頃に小田島長義により築かれた、とされています。その後、斯波氏の一族である東根氏という氏族が構えていた時期もあり、その名からとられたのかと思われますが、最終的には最上氏が改易となった1661年に廃城になったとされています。

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●東根小学校

東根城の本丸跡とされるこの小学校は、このように石垣塀で覆われ、学校の入口とは思えないような荘厳な様相となっています。ここまでではないと思いますが、京都府南丹市の園部高校も園部城跡になっていて、似たような雰囲気だった事をまず連想します。

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●東根の大ケヤキ

かなり雑に撮ってしまいましたが、東根小学校にある「大ケヤキ」の木です。

樹齢1500年といわれ、真実ならば大和朝廷時代からの生息という事になります。南北朝時代にこの地にお城が気づかれた時期は、この木の生息期から見たらちょうど半分の時期にあたるところで、廃城となった江戸初期は2/3の時期という事で人生ならぬ「木生?」のほんの後半の出来事にすぎない、といったところでしょうか。とにかく計り知れないほどの長い時間を生き抜いているという事ですね。

そういう事をもう少し意識して撮れば良かった、と後悔しています。この時、東根駅へ到達する為にだいぶ駆け足で行っては撮り…を繰り返していたので…。

こんな感じで、まだ途中ですが駅間を往くだけでなかなかの観光ができます。

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2015年7月 5日 (日)

JRさくらんぼ東根駅 (山形県東根市)

山形県東根市のJRさくらんぼ東根(ひがしね)です。

東根市としては以前にJR東根駅をUPした事がありますが、今回は「さくらんぼ東根」駅と、"さくらんぼ"が冠された名の駅のご紹介です。

-JRさくらんぼ東根駅-
【路線】
JR奥羽本線(福島-青森間)
      山形新幹線(福島-新庄間)

【開業】1999年12月4日
【訪問】2010年9月
【1日あたり平均乗車人員】 978人/日 (2014年) 
【近隣の主要駅 (福島方面) 天童駅→3駅 ※新幹線では隣駅
            (新庄方面) 村山駅→2駅 
※新幹線では隣駅
                    東根駅→隣駅

●駅名標

東根駅の隣駅に位置します。(在来線である奥羽本線では)

明治末期の1911年に東根駅が開業した時には、東根温泉が湧き出した事等により、市の中心部に駅がつくられずに何十年もの歳月を重ねる事となりましたが、1999年に山形新幹線が新庄まで延伸する事を受け、「今度こそ東根の中心部に駅をつくろう」という事で、新幹線駅として設置される事となりました。

こうして1999年に新駅開業となり「さくらんぼ」東根駅となったわけですが、ここより900m程離れた地点にあった蟹沢駅を移設する形、と公式ではなっているそうです。

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●ホーム

この駅には夜着いてそのまま駅前のホテルに泊まり、翌朝は徒歩で隣の東根駅まで歩いた、という行程であったので、この駅のホームには夜しか寄っておらず、こんなカットになってしまいますがホームの様子です。

東根温泉の開湯百周年を記念した幟が並んでいました。開湯は1910年、翌年に東根駅開業となったのですが、この写真の当時が2010年であった為、ちょうど100年にあたる貴重な時期に訪ねる事ができました。

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●歓迎看板

ホームの壁にあった看板です。

「ようこそ!!果樹王国 ひがしね」と。

駅名についているだけあってか?!「さくらんぼ」の看板でした。

当駅の利用拡大促進協議会なるところが出している看板のようです。

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●暖簾

改札を出た所では、開湯百周年の記念の暖簾が吊下げられていました。

元々は東根温泉と称されているのですが、当駅の開業後はその名に合わせるかのように観光宣伝用にも「さくらんぼ」を冠するようになったといいます。

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●ポスター

駅構内に貼ってあったポスターです。

「おばけかぼちゃコンテスト」の山形県大会などもあったりするんですね!

右上にあるような、さくらんぼのこのように敷き詰められると、すごく格調高いもののように見えます。

他に「最上川舟唄」の全国大会とか、「谷地どんがまつり」などのポスターがありました。

「谷地どんがまつり」というのは東根市ではなく河北(かほく)町のまつりで、毎年敬老の日を含む土日月に開催されるもので、このポスターにあるような姿での舞が行なわれたり、賑やかなお祭りのようです。

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●さくらんぼベンチ

ここから先は駅の外のカットとなりますが、宿泊翌朝に撮ったものとなります。

この駅前で最も印象的だったものをひとつ挙げるならば、このベンチを真っ先に挙げます。それくらいインパクトがありました。

最初ただのさくらんぼオブジェと思って見てたら、上の部分が平たいんでベンチか?と思ったのですが違ってたらすみません(^^

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●駅前通り

さくらんぼ東根駅からまっすぐ伸びている通りです。

駅の真ん前は建物は殆どなく、公園スペースとなっていて、かなり向こうから色々建物が並んでいます。

左側に写っているホテル「イーストプラザ」にこの時は泊まっていましたが、1999年の駅開業後しばらくは駅前にホテルがなく、新幹線で隣にあたる天童駅前のホテルが利用されていたようです。

右向こうにはイオンの東根店があるのですが、その住所は「東根市さくらんぼ駅前三丁目…」だそうです。イオンに限らずこの一帯の住所は「さくらんぼ駅前…」なのでしょうか、とってもユニークですね。

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●さくらんぼ東根駅 駅舎

1999年の開業までの市内の代表駅である東根駅は平屋駅舎でしたが、こちらは堂々とした駅舎となっています。市内の新幹線駅という事で、既設の駅ではなく新設(移設的要素もありますが…)された駅として期待のかけられた部分がこの規模の大きな駅舎になって現れているように思います。

駅前のオブジェのてっぺんはやはり「さくらんぼ」でしょうか。

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2015年1月20日 (火)

山形/寒河江 歩かない旅

山形県寒河江市、JR寒河江駅周りの様子です。

(2014年12月当時)

●駅前広場から

すっかり暗くなっていて見えづらくなっていましたが、駅から駅前広場の向こうをまっすぐ見るとこんな感じです。飲食店があったような感じでしたが、開いてませんでした。12/30という時節柄もあったのでしょうか。

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●通りへ

駅前広場を抜けて通りへ出ようとする所です。

でもこの先は歩きませんでした。暗かったし寒かったし、先へ行って何が見つかるかも分からなかったしで。足下がこんなでなければもう少し歩いたかもしれませんが…。左側に見えるのは不動産屋さんですね。

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●光

上の写真からやや左に視線をずらしたものです。

不動産店の向かいはちよっとしたオブジェが立っていて、それが夜と雪と街灯の光とに相まって、一帯がなんともいえないキラキラした雰囲気を放っていました。

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●ロード

アートロードが2つもありますが、それぞれ指す先は違っていて、寒河江市美術館と市役所(近代建築100選、とあります)となっています。

それにしてもこのオブジェが本当に綺麗すぎました。これも雪に埋もれてこそとも感じましたね、寒河江の景色で最も印象深かったといっても過言ではありません。

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●金色の光

先程来チラッと見えてきていましたが、寒河江駅と数十m離れる形で横並びになっているのがこの建物です。

「寒河江市神輿会館」という通称をもつ寒河江市寒河江駅前交流センターです。街歩きを諦めて、寒河江ではここを訪ねた事で観光したことにしよう、と決めました。

建屋の前はものすごく雪深くなっていて、この中を思いっきり足跡つけて歩きましたが、だいぶ埋もれました(笑)

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●こどもみこし応募箱

会館の中に入ってみました。冬季は17時までの開館という事で、17時を過ぎたこの時は人は居ませんでしたが、自動ドアは開いていて、中に入る事が出来ました。

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●ふるさと映像

のコーナーがありました。入って正面にあります。

ここで寒河江という街が分かるようになっています。おかげで町歩きしなくてもじゅうぶん旅した気分にさせて頂きました(笑)

てな訳で、この操作パネルを使って興味あるとこだけ見てみました。

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●寒河江市の産業

寒河江の町紹介として、「市の情報」や「産業」についての画面です。

ちょっとデータが古いですが…(笑)

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●神社

どこの神社かと思って、後から調べたら「寒河江八幡宮」のようです。

11世紀後半からの歴史を持つようで、源頼義・義家の奥州平定祈願に端を発するといわれています。

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●仏像

木造騎象普賢菩薩及十羅刹女像(国指定重要文化財)と木造薬師三尊像(鎌倉時代の作でヒノキの寄木造)とありました。いずれも慈恩寺のものでしょうか。これ以外にもいくつも仏像の紹介はありました。寒河江駅の階段にも仏像が散りばめられていたな、と思い当りますが、仏像の印象の強い市と感じさせられます。

騎象ってつまりその、ゾウの上に立って乗ってるってことですよね…さすがは仏様の芸当と思ってしまいました。

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●神輿

寒河江市神輿会館というだけあって、館内にはこのような見事なお神輿がドカッと置かれていました。

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●寒河江城跡

本丸跡の画像が紹介されていました。

大江広元の嫡男・親広が館を建てたのが最初といわれています。城として整備したのは寒河江大江氏として最初に寒河江氏名乗ったという寒河江時氏とされ、14世紀という事です。ただ廃城時期も早く元和9(1623)年に土塁を崩した事で廃城とされています。

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●神輿と担ぎ手パネル

歴代祭りの?担ぎ手と神輿のセットと思われる写真がパネル形式で並べられていました。

祭りの盛んな地域なのですね、いう事で、この側面を見にここを訪ねるのも良いなと感じました。今度は是非に雪のない時期に明るい時に行きたいものです!

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2015年1月17日 (土)

JR寒河江駅 (山形県寒河江市)

山形県寒河江市のJR寒河江(さがえ)です。

寒河江市は山形県の中部に位置し、人口は41,421人(2014.12.1現在)で、県内随一のサクランボの産地して知られる街です。

-JR寒河江駅
【路線】JR左沢線(北山形-左沢間)
【開業】1921年12月11
【訪問】2014年12
【1日あたり平均乗車人員】 949人/日 (2013年)
【近隣の主要駅(北山形方面)山形駅→8駅 ※北山形経由
           (左沢方面)左沢駅→4駅

●駅名標周辺

去年の12/29に訪ねてきたばかりで、長井駅の次に訪ねました。

「山形県の未訪市を訪ねる」というテーマの下、長井駅を訪ねて、残るはココ寒河江市のみとなりました。しかし、長井から赤湯でJRに乗換えて山形へ移動し、またこの寒河江までやってくる、というのは大変時間のかかるものでした、同じ県でありながら。おかげでかなり暗くなってしまっていて、山形を出たのは16:32で、ここに着いたのが16:58という状態でした。

JR左沢線という路線に属する駅ですが、左沢は「あてらざわ」と読みます。

両隣駅は、南寒河江と西寒河江となっていて、南と西という反対方向じゃないのが両隣って珍しいですね。

とにかく、ここへの到着を以って、山形県の全市訪問を達成した瞬間でもありました。

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●さくらんぼ駅名標

寒河江と書いて「さがえ」と読みます。なかなかの難読ですね。

ここだけの特別バージョンか分かりませんが、さくらんぼの名産地らしい駅名標がありました。

私鉄のように見えますがこれでもJR駅です。本来は天井から吊り下がってるこのタイプのものが通常版だ思いますが、ユニークなものを作ってくれたもので。

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●ホーム

さくらんぼ駅名標はベンチの背中合わせになった間に建っているものでした。

市の中心駅らしく屋根は長く取られているものの、そんなに賑わっている訳ではなく寂しげな雰囲気が覆い尽くしていました。

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●1番線

の側です。

この左沢線は「フルーツライン」なる愛称をもっています。

跨線橋を上って改札へ。

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●改札前

ホームから上がってきた頃です。

このフロアに改札があり、エレベータもついてました。

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●改札上

改札のほぼ真上に近い辺りに吊下げられていました。

「寒河江に来てけで ありがとさまなっす!」という方言での御挨拶です。

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●自由通路

意外にも?!橋上駅舎でした。

出口が片方しかない小規模駅舎を想像してたので嬉しい誤算というかホントに意外でした。

左沢線では山形を除く途中駅での唯一の市の中心駅という事もあり、沿線ではその担う役割が重要なところとされています。

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●駅周辺案内

自由通路にあった駅周辺図です。

駅前広場もしっかり設けられています。

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●壁デザイン

自由通路の壁(内側)はこのような取り付け型でもってデザインがなされていました。やはり名物のサクランボが散りばめられています。

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●50's SAGAE

昭和30年ごろの寒河江の町並図刊行事業のようすが当時の区画と共に貼り出されていました。

上の写真の左端に写り込んでいますが、駅改札出て右側の自由通路の端が室内型待合室になっていて、観光案内などもありました。行った時は夕方だったのでヒッソリしてましたが、それでもこの駅がこれだけ色々充実しているとは思っていませんでした。

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●慈恩寺の紹介

こちらは自由通路の外側に看板を立てる形で紹介されているのが、国指定史跡である慈恩寺です。

奈良時代に聖武天皇が建てたとされますが、こんな時代にどんな指示系統になっていてどんな段取りで進められたのか体感してみたいものです。今だと交通機関も発達してるし、メールもあるので当たり前のようにできるでしょうが。

平安時代に鳥羽天皇の代になって建物が充実していったともありました。仏像群があるという事で興味を惹きましたが、訪ねたのが既に暗く、街歩きが叶わない状態でした。また行きたいとは思いますが、ここへ行くの自体に時間がかかり、ピンポイントで行かないと観光もままならないですね。

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●階段

自由通路から出口への階段には、絵画や仏像、特に仏像の写真が多数散りばめられ、惹きつけられました。

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●駅前広場

階段を降りて駅を出た所です。

一面の雪景色、ここの前に訪ねた長井市同様でした。

ここではそんな積もってる印象は受けませんが実際道路以外の部分はかなり積もってました。

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●寒河江駅 駅舎

すっかり暗くなってしまっていて、駅名の部分に光が入ってしまうなど万全な状態では撮れませんでした。東北の駅百選に入るという実は素晴らしい駅です。

本来夜中の訪問などは自分の中では訪問と見なさないのですが、なんとか記録に残り、また次いつ行けるか分からない場所の場合は訪問と見なして、記事にあげました。

しかしこの駅前広場もほとんど積もってる感じがないですね、ここを離れると見事に雪景色に出会います。

ここの町では長くも居れず、また雪でまともに歩く事もしなかったので、ほんの駅前だけしか見ていないのが少々心残りではあります。ただ、その駅近くでいいものが見れたので、それは収穫だったと思います。

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2015年1月10日 (土)

山形/長井 深い雪の中を…

山形県長井市、山形鉄道/長井駅からの歩き旅です。

(2014年12月当時)

●置賜花回廊

置賜(おきたま)地方という山形県の南部地区は花の光景溢れる美しい地域、という側面を前面にだしたもの、といってもいい長井駅にあった看板です。なお、長井市は「あやめ」でした。主要どころでは米沢市などがこの置賜地方に属しています。

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●みずはの小道

長井駅前周辺のイラスト地図です。

「みずは」とは水の神様だそうです。

上には「フットパス長井」とありますが、フットパスとは「歩く事を楽しむための小道」だそうです。自転車なら流してしまうような風景も、しっかり歩けば目に焼き付きます。管理人もその事を心掛けて旅をしているので街風景の写真が多くなってしまいます。名所的なとこ沢山行こうと思うと自転車頼りになる事もありますが…。

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●いざ行かん

駅前の通りです。

歩道の部分は雪が積もったままで歩くのも厳しく、車道を走りたかったも危ないので、モヤモヤ感がありました。この道をまっすぐ行って,長井らしい何かを見つけられれば…と思いながら、短い持ち時間の中、雪道の中、歩き始めたのでした。

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●更に進む

時折、歩道部分にも雪のない所が見受けられましたが、凍っている恐れもあり、腰を低く落として歩くのが依然として続いたのでした。転倒事故は起こしたくないので…。

てっぺんにビニールシート被ってたスポーツ店の年季の入り具合に見とれてもいました。

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●雪カーペット

通りを進みながら横を見ると、年季の入った家屋とその前のスペースには白いカーペットを敷いたような真っ白できれいな積雪が。

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●つらら

長井だけに「長い」つららをそこかしこで見つけました(笑)

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●雪づくしの歩道

綺麗に歩道部分だけが雪で覆い尽くされ、この道を歩き続けることに。

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●長井市役所

上の写真に「平和都市宣言」なる看板が見えていましたが、その横にあるのがこの長井市役所です。

正面から撮ると木で覆われてまともに建屋が見えないので、このカットを載せました。

3Fたてのこじんまりとした建屋ですが、角ばってて窓の形が縦長で、となかなか特徴的なものでした。

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●長井郵便局

今回、この長井の町で最も「長居」してしまった場所です。

長井駅前で、街の特徴的なものとして載せられるのは、この市役所・郵便局辺りかなという感じで、後は駅からの距離を度外視して観光地を探す事になるのかなと思い、この辺りだけ割り切って撮ってました。

で、ここに長居した理由は、持っていた株の中間配当金の受取りをしていたためで、年末もあってか予想以上に手続きに時間がかかり(人はそれ程溢れかえっていませんでしたが…)、長井駅へ戻る時に雪道で足下の危ない中を相当走る事となりました。ホント危ないので、真似はしていただきたくないですが、長井での思い出というと、この郵便局の中での手続きの待ち時間「まだかまだか…」と思っていた事かもしれません

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●長井市役所第二庁舎

市役所建屋の道路挟んでほぼ向かいにある市役所の第二庁舎です。

年季の入ったゴツゴツしたコンクリートの建屋で寂れた感がかなり見受けられ、上部はこれまた長いつららが何本も出ていました。

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●長井小学校

これもほぼこの近辺にありましたが、立ち入り禁止を謳っていますが、校門がこのようなオープン状態で、扉も何も無くという感じで、物凄く中に入ってこの素晴らしい校舎建屋を撮りたい思いに駆られましたが、とりあえず外からとさせて頂きました。レンガ色っぽいモダン建築というか、とにかく素晴らしい建屋でした。

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●間の道

右に郵便局、市役所第二庁舎、左に小学校、市役所等のある中心街の道路です。

小学校前の歩道橋、は定番ですね。

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●つらら

の写真はいくつか載せた訳ですが、一本撮ってみました。

雪国の人間ではないので、珍しさに見入ってしまいます。

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そんなこんなの長井駅前、短い時間ではありましたが、これはこれでいい旅でした。

2015年1月 5日 (月)

山形鉄道/長井駅 (山形県長井市)

山形県長井市の山形鉄道/長井(ながい)です。

長井市は山形県の南部に位置し、人口は28,102人(2014.12.1現在)で、いわゆる置賜(おきたま)地方に属し、かつて最上川舟運で栄えた商工業都市で、商業集積地の側面は現在も持ち合わせています。

-山形鉄道/長井駅
【路線】山形鉄道フラワー長井線(赤湯-荒砥間)
【開業】1914年11月15
【訪問】2014年12
【1日あたり平均乗車人員】 340人/日 (2011年)
【近隣の主要駅(赤湯方面)今泉駅→3駅
           (荒砥方面)荒砥駅→7駅

●駅名標周辺

去年の12/29に訪ねてきたばかりです。

駅開業が1914年で、ギリギリ開業100周年の年に来る来る事ができました。

山形鉄道の駅としては本ブログ初登場となりますが、この鉄道は山形新幹線の「赤湯駅」を起点しており、荒砥(あらと)駅まで約30kmつづく路線となっており、当駅は赤湯駅から約18kmの所にあります。

駅名標の柄と列車の柄が同じものとなっている所に注目です。

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●駅名標2

上の分は吊下げ式でしたが、こちらは床置き?!式の駅名標です。

雪が積もりすぎて脚の部分が相当隠れてしまっています。

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●大壁画

ホームにて。

駅舎と反対側にこのような巨大壁画がありますが、これは長井青年会議所40周年記念事業として2005年につくられたもので、長井の小中学生によってご当地の名物等々が描き込まれているといいます。

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●ホーム全景

はこのような感じです。

2面2線で跨線橋はなく、構内踏切からスロープ状になったホームへと進んで行きます。

屋根はこのような頭でっかちな感じのもので、これを内側の柱で支えています。

列車の車両が短いので、屋根のある部分が短くても問題のない状態です。

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●ホームから

上の写真と反対にホームから下りていく目線のカットです。

やはり雪が凄くて、えらい風景になってしまいました。手すりつきスロープの部分だけは雪がないようになっていましたが、雪かきされたんでしょうね。

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●駅舎へ

構内踏切を渡って駅舎へ。

「ようこそ 水と緑と花の町長井へ」とありました。

この路線も「フラワー長井線」というぐらいなので、花の側面は強いのでしょう。

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●駅舎内

写り悪いですが、駅舎内にあった観光協会のかわら版やその他掲示物のコーナーです。

沿線の途中では唯一といっていいほどの市の中心駅なので、周辺に比べるとこの辺りはかなり充実しているといえます。

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●駅舎内2

名所案内がありました。

つつじ公園・あやめ公園などが1kmいう事で時間に多少のゆとりがあれば行けるかな、という感じです。(行ってませんが…)

先程、花の町というような事を書きましたが、本当にここは花に関するもののみが名所として書き連ねてありました。

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●フラワー速報

駅の窓口付近に置いてあった小冊子です。

当駅が開業100周年を去年迎えた訳ですが、「長井線100周年」の旨が記されています。赤湯からだと途中の梨郷駅までが2013年に100周年、そこから当駅までが2014年に100周年という訳です。中のページを見ると、利用促進のお願いや走る列車に手を振って下さいというキャンペーン的な内容もありました。

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●駅前バス停

駅の真ん前にバス停がありましたが、その横には真っ赤なポストが!

近年こういった形のポストは再び多くなってきていますが、その多くは朱色のものだと思われる中で、このような真っ赤なものは個人的に初めて見たといってもいいぐらいのレベルでした。これまた雪に埋もれかかっていましたが…。

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●駅前通り

駅出ての目線です。

とりあえず高い建物は見受けられず、道がずーっと続いていました。

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●出入口周辺

これも少々ボケてますが、このようにベンチが設けられていました。

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●長井駅 駅舎

平屋で決して大きな駅舎ではありませんが、屋根真ん中が三角になったなかなか素晴らしい駅舎で、出入口部分はひさしがせり出しています。

雪がかなり積もってて、特にひさしの上がこんもり積もってる感じでしたが、これは雪のない時はまた雰囲気が違うのかな?とも感じました。街の中も雪だらけで歩くも思いに任せずでした。それを覚悟してて行ったんですが、雪のない季節の風景も見たいものです。

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2014年4月11日 (金)

JR山形駅 (山形県山形市)

山形県山形市のJR山形(やまがた)です。

山形市は、山形県の中東部に位置し、人口は254,022人(2014.2.1現在)で、山形県の県庁所在地であり、県内一の人口を誇る街でもあります。霞城の別名をもつ山形城があり、

-JR山形駅
【路線】JR奥羽本線(福島-青森間)
      山形新幹線(福島-新庄間)

【開業】1901年4月11
【訪問】初訪問-2006年8
【1日あたり平均乗車人員】 10,860人/日 (2011年)
【近隣の主要駅(福島方面)かみのやま温泉駅→3駅 ※新幹線では隣駅
          (青森方面)天童駅→6駅 ※新幹線では隣駅

Dscf0281●駅名標周辺

こちらは在来線ホームです。

在来ホームは実に2面5線もあり、ターミナル駅として機能しています。

ここに初め来たのは2006年8月、もう8年も近く前の事となってしまいました。ついこないだのようにも思えますが…。

ちなみに開業日は1901年のちょうど今日、本日めでたく113歳の誕生日を迎えたわけです。

Dscf0280●ホーム

ここは3番線と4番線のホームです。

これは、在来の奥羽本線のホームであり、1・2番線は山形新幹線、5番線は臨時ホームとなっていて通常使用はなく、6番線は左沢線、7番線は仙山線となっています。在来線は色々乗入れている訳ですが、この駅が属しているのは奥羽本線のみです。

向こうは「めん&カレー」とあり、軽食スペースとなっています。

Dscf0279●自由通路

改札を出たところは広い自由通路が伸びています。

山形といえばさくらんぼのイメージが個人的に強いのですが(さくらんぼ東根駅、なんてあるくらいに)、ぶどうも名産なんですね。スイカもだったか、と…果物類には事欠かない街なのですね。

通路の真ん中には何やら写真がパネル式に展示されていました。

Dscf0238●大きな幕

の形で、山形大花火大会の宣伝がなされていました。

8月14日、実はここへ寄ったその当日なのでした!これはまずいと思い、滞在もそこそこにそそくさと街を出ました。なぜなら…花火大会当日ならば、、まず間違いなく込むからです。この時宿もろくに取っていなかったので尚更です。

しかもここの花火は実に約2万発も上がる訳で、尋常じゃない混みが予想される…、その事ばっかり考えてました。

Dscf0237●駅前

バスが出入りするスペースが道路脇に広く取られている、そんな雰囲気の駅前風景でした。 駅側にはバス待ちのひさしが繋がって獲られていました。

S-PALという商業施設が入った駅ビルになっています。

 

Dscf0236●山形駅 駅舎

1992年に山形新幹線が開通し、新幹線の駅ともなりました。

突き出た出入口はスケルトンな感じになっていて、不思議な感じですが、規模は上の写真でもわかるように大きな駅舎です。

周囲には、高いビルが散発的にポツポツと建っていて、大都会になり切れていない感が自分の中ではありました。

2013年12月 5日 (木)

山形/新庄 昔語りと新庄城跡

山形県新庄市、JR新庄駅からの歩き旅です。

(2006年8月当時)

駅から通り

新庄駅から出て、駅前の通りを眺めたショットです。

向こうには駅前の通りが続くのが見えます。

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駅前通りをゆく!

駅前通りの様子です。

独特の街灯が立ち並び、金の茶釜などの絵が載っていました。下の幟にチラッと書いてあったのは「金の茶釜とおり」でした。

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金の茶釜 説明板

茶釜の絵からタヌキのしっぽが見えています。

文福茶釜ですね…

新庄との関係性がイマイチよく分からないんですが…

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昔かたりのきこえるみち

駅からすぐの通りは上の写真の「金の茶釜とおり」、その向こうは「こぶとり爺さまとおり」となっていて、これと交差する通りも御覧のようにそれぞれ名前がついています。しかし繰り返すようですが、新庄との関連性は不明です。むしろ、こういうのをきっかけに街をアピールしようとしているのか…

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こぶとり爺さまとおり

という標識は立っているものの、さして他にそれらしいものが感じられた記憶がなく…というところでした。こぶとり爺さんの通りなんだな、と心に言い聞かせながら?!通ったのを覚えてます。

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最上公園

として親しまれるこのゾーン、新庄城跡でもあります。

新庄城は、別名を沼田城、鵜沼城といい、1625年戸沢政盛により築かれたお城ですが、1636年には火災に遭い、天守が消失し、その後再建される事はなかったといいます。

1868年には戊辰戦争で舞台となり、陥落。同年のうちに廃城になったそうです。

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新庄城絵図

城の建物自体は殆ど失われているそうです。

お堀を突っ切る1本道が印象的な絵図でした。

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新庄城のお堀

入口の1本道のサイドにある大きなお堀です。

情緒たっぷりで、中に建造物は殆どないものの、この辺りはすごく立派ないでたちとなっています。

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表御門跡

石垣と共に、このような標識が立っていました。

この石垣の上に櫓門が立っていたそうです。

建造物的には、新庄城跡の中で、城跡を強く感じさせるひとつではあるかな、と思います。

新庄城を見て、儚い歴史を感じるのもまた一興というものでしょう。

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2013年8月 3日 (土)

山形/南陽 花見橋を眺む

山形県南陽市、JR赤湯駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

マンホール

中央に南陽市のマークを配し、その外に市の花である菊、外周は市の木であるサクラを持ってきています。

カラー版があればきれいだろなと思うのですが、この単色版しか見つけられませんでした。

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駅前通り

昔ながら感満載の商店街になっています。右手前は酒屋さんですね。

街灯は名産のブドウを表したものでしょうか、こういう球体のものが3連でついていました。

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駅前簡易局

赤湯駅前簡易郵便局です。

市の中心駅前の郵便局が簡易局という例をあまり見たことがなかったのですが、ここで多分初めて見たんだと思います。

ちなみに簡易郵便局とは、郵政大臣が郵便窓口業務を地方公共団体や個人等に委託して設置された郵便局であり、郵政民営化以前から国の機関ではなかったものです。

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パーラー フレンド

道を進んで行くと出くわした昭和感満点のパチンコ屋です。現役ではないと思われますが…

窓に貼ってあるのをみたら「家庭円満」とまで書いてあります。パチンコで商品を沢山儲けて家庭も潤う、という発想でしょうか。よそで見たんですが、昔のタバコ屋さんでも「今日元気だ タバコがうまい!」と高らかに書かれてあり、ある意味奔放ないい時代だったんだなという気します。良し悪しはともかく、今みたいに世知辛くない事は確かで…

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花見橋

真っ赤な欄干が印象的な橋です。

1900年当時に道路が整備され、当時は一面の桑畑だったそうです。烏帽子山公園の桜の花を一望できたからこの名がついた、といわれています。

1935(昭和10)年に木造から現在のコンクリート橋に架け替えられ、1983(昭和58)年には通行量の増加に対応して両サイドに幅1.8㍍の歩道をつけて拡幅されたといいます。現在は橋の長さが36.5㍍、幅が12.18㍍になっています。

横から見ると、河原周辺の緑づくしの景色にこの赤い欄干が実によく映えて見えます。赤湯というこの地に相応しい色彩を放っている、そんな印象でした。

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